スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ダイオライト記念&混乱した観念の意志

2010-03-10 19:03:05 | 地方競馬
 フリオーソによる同一重賞3連覇がかかったダイオライト記念
 どの馬が逃げるのかは焦点のひとつでしたが,かなり押していってフリオーソが先手を奪いました。かなり行きたがっている様子でしたがフサイチセブンが2番手に控え,ロールオブザダイスとマコトスパルビエロが並んで追走。最初の1000mは63秒0ですからスローに近いミドルペースといったところでしょうか。
 3コーナーを回ってからロールオブザダイスが後退していったのを除けばほとんど隊列は変わらないままに直線に。追走していたフサイチセブンがフリオーソを交わして先頭に立つとフリオーソは一杯。ロールオブザダイスと入れ替わるように上がってきたマイネルアワグラスとマコトスパルビエロが並んで前を追いましたが,危なげなく振りきったフサイチセブンの優勝。マイネルアワグラスが2着でマコトスパルビエロが3着。
 優勝したフサイチセブンは3戦目の未勝利を勝つと4連勝してオープン入り。前走のオープン特別で2着となり,少し壁があるかと感じていましたが強い内容でした。発走後にフリオーソがかなり押していったのでスタミナをロスしたという側面もあったかと思いますが,こちらも抑えるのに必死という様相でしたから,それでいてこの内容であれば,一線級でもある程度はやれそうに思います。
 騎乗した内田博幸騎手は2006年ヴァーミリアン以来のダイオライト記念2勝目。管理している松田国英調教師はダイオライト記念初制覇となっています。

 混乱した観念には意志は含まれないと考えることには無理があるということ,いい換えれば,混乱した観念にも,十全な観念と同様に,意志が含まれているということを具体的な例で考えてみようと思います。この場合にも,これまで何度かそうしてきたように,ペガサス,すなわち翼の生えた馬の観念を例材とします。
 ペガサス,すなわち翼ある馬の観念が,ある人間の精神のうちにあると仮定します。以前に第二部定理一七表象の種類のうち,想像について詳しく検討した内容から,この仮定は無理がありません。しかるに,この観念は,馬という動物に対して,翼という部分を肯定していることにほかなりません。いい換えればこうした肯定なしには,この観念はこの人間の知性のうちにあることはできないでしょう。しかし,馬に対して翼を肯定する思惟の様態,すなわちこれがスピノザの哲学でいう意志ですが,この意志は,ペガサスの観念だけを肯定し,ほかの観念を肯定することが不可能ですから,ペガサスの観念なしにはある人間の知性のうちにあることはできないということになります。同様に以前に考察した宝くじの的中という想像は,たとえば自分が購入した宝くじの番号が当せん番号と一致するという肯定なしにはあることができませんが,この意志が肯定し得るのは,自分が購入した宝くじが当たるという想像だけだといえるでしょう。
 したがってこの関係は,三角形の場合,すなわち十全な観念の意志の場合と完全に一致するのです。よって混乱した観念の場合にも,知性と意志とは同一のものであるということになります。すなわち第二部定理四九とか第二部定理四九系というのは,混乱した観念というのを,神とは関連付けず,ただそれ自体でみた場合にも妥当するといわなければならないと思います。
コメント
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