京都競馬場の1800mで4日に争われた第8回JBCレディスクラシック。
ビスカリアは加速が鈍く発馬後は遅れました。サルサディオーネが最も逃げたかったと思うのですが,最内のアイアンテーラーが譲らずにハナへ。2馬身ほどのリード。カワキタエンカ,サルサディオーネ,プリンシアコメータの順で続きました。この後ろは4馬身ほど開き,アンジュデジール,ラビットランの順。フォンターナリーリ,クイーンマンボ,ブランシェクールの3頭が併走。ここからは3馬身ほど開きジュエルクイーン,リエノテソーロの順。さらに2馬身ほど開きラインハートとアンデスクイーンの2頭。また2馬身開いてファッショニスタ。3馬身差でビスカリアとなり4馬身差の最後尾がディアマルコ。最初の800mは48秒0のハイペース。
アイアンテーラーとサルサディオーネが並んで直線に。その外からアンジュデジールが抜き去るとこれを追ってきたのがラビットラン。その外からクイーンマンボで大外を後方待機のファッショニスタ。アンジュデジールとラビットランが激しく競り合い,後ろの2頭は届かず。差し返すような形になった内のアンジュデジールが優勝。ラビットランがアタマ差の2着。ファッショニスタが半馬身差の3着でやや伸びを欠いたクイーンマンボは半馬身差の4着。
優勝したアンジュデジールはマリーンカップ以来の勝利で大レースは初制覇。絶対能力ではクイーンマンボなのですが,今年に入って本調子を欠いていました。まだ立ち直っていなければ牝馬重賞路線で堅実な成績を残していたアンジュデジールはチャンスがある1頭で,このチャンスをものにしたという形。態勢的には不利だったのですが,それを跳ねのけた勝負根性が光った一戦であったと思います。父はディープインパクト。母の6つ下の半弟に昨年の川崎記念を勝っている現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
騎乗した横山典弘騎手は昨年のJBCスプリント以来の大レース制覇でJBCは全体で2勝目。管理している昆貢調教師は2013年の川崎記念以来の大レース9勝目。JBCは全体で初勝利。
僕はすでに母は何があってもおかしくはない状況に入っていると判断していました。だからインスリンを常に携帯するようにしていたのです。母がどう感じていたかは定かではありません。ただ,母は父がそうであったように最後は緩和病棟で死にたいと考えていたのであって,実際にその緩和病棟に入院したのですから,死期が迫っているということは自分でも強く認識していただろうと思われます。このような状況になれば,死ぬということを前提として話をしなければならないことも多くなります。それは僕が感じたように確かに楽しいことではないでしょう。ただ,実際に経験した身からいえば,こうした楽しくない話はなるべく避けない方がいいと思います。僕と母の間でいえば,もしかしたらそれは少なすぎたのかもしれません。母の死後に困りそうなことについて,もう少し母自身の希望や判断を確認しておけばよかったと思うことも多々あります。
それからこの日,母が緩和病棟に入院したことを,父のきょうだいのうち次男に伝えておいてほしいという依頼がありましたので,これは夜に電話をして伝えました。入院したときにKさんには伝えてありました。これは母自身の意向です。僕はKさんに伝えただけですが,Kさんに伝えるということはたとえばFさんにも伝わるということであり,つまり母の親しい友人たちには伝わったということです。この晩も僕はひとりの伯父に伝えただけですが,それは実際には父方の親族に伝わったということを意味します。
7月25日,水曜日。伯父への連絡は前日の夜のうちに済ませましたが,介護ベッドの業者へのベッドの引き取りの依頼の電話はこの日にしました。これは躊躇があったからというわけではなく,時間的な都合です。前日は業者に電話をするにはもう遅いと思われる時刻になってからの帰宅でした。業者は翌日に片付けに来るとのことでした。時間帯が午後3時から5時の間と長くなっていましたので,その間は自宅に滞在している必要がありました。
見舞いは午後からでした。この日に病室が有料部屋から無料部屋に移動になりました。この日の移動は事前には伝えられていませんでした。
ビスカリアは加速が鈍く発馬後は遅れました。サルサディオーネが最も逃げたかったと思うのですが,最内のアイアンテーラーが譲らずにハナへ。2馬身ほどのリード。カワキタエンカ,サルサディオーネ,プリンシアコメータの順で続きました。この後ろは4馬身ほど開き,アンジュデジール,ラビットランの順。フォンターナリーリ,クイーンマンボ,ブランシェクールの3頭が併走。ここからは3馬身ほど開きジュエルクイーン,リエノテソーロの順。さらに2馬身ほど開きラインハートとアンデスクイーンの2頭。また2馬身開いてファッショニスタ。3馬身差でビスカリアとなり4馬身差の最後尾がディアマルコ。最初の800mは48秒0のハイペース。
アイアンテーラーとサルサディオーネが並んで直線に。その外からアンジュデジールが抜き去るとこれを追ってきたのがラビットラン。その外からクイーンマンボで大外を後方待機のファッショニスタ。アンジュデジールとラビットランが激しく競り合い,後ろの2頭は届かず。差し返すような形になった内のアンジュデジールが優勝。ラビットランがアタマ差の2着。ファッショニスタが半馬身差の3着でやや伸びを欠いたクイーンマンボは半馬身差の4着。
優勝したアンジュデジールはマリーンカップ以来の勝利で大レースは初制覇。絶対能力ではクイーンマンボなのですが,今年に入って本調子を欠いていました。まだ立ち直っていなければ牝馬重賞路線で堅実な成績を残していたアンジュデジールはチャンスがある1頭で,このチャンスをものにしたという形。態勢的には不利だったのですが,それを跳ねのけた勝負根性が光った一戦であったと思います。父はディープインパクト。母の6つ下の半弟に昨年の川崎記念を勝っている現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
騎乗した横山典弘騎手は昨年のJBCスプリント以来の大レース制覇でJBCは全体で2勝目。管理している昆貢調教師は2013年の川崎記念以来の大レース9勝目。JBCは全体で初勝利。
僕はすでに母は何があってもおかしくはない状況に入っていると判断していました。だからインスリンを常に携帯するようにしていたのです。母がどう感じていたかは定かではありません。ただ,母は父がそうであったように最後は緩和病棟で死にたいと考えていたのであって,実際にその緩和病棟に入院したのですから,死期が迫っているということは自分でも強く認識していただろうと思われます。このような状況になれば,死ぬということを前提として話をしなければならないことも多くなります。それは僕が感じたように確かに楽しいことではないでしょう。ただ,実際に経験した身からいえば,こうした楽しくない話はなるべく避けない方がいいと思います。僕と母の間でいえば,もしかしたらそれは少なすぎたのかもしれません。母の死後に困りそうなことについて,もう少し母自身の希望や判断を確認しておけばよかったと思うことも多々あります。
それからこの日,母が緩和病棟に入院したことを,父のきょうだいのうち次男に伝えておいてほしいという依頼がありましたので,これは夜に電話をして伝えました。入院したときにKさんには伝えてありました。これは母自身の意向です。僕はKさんに伝えただけですが,Kさんに伝えるということはたとえばFさんにも伝わるということであり,つまり母の親しい友人たちには伝わったということです。この晩も僕はひとりの伯父に伝えただけですが,それは実際には父方の親族に伝わったということを意味します。
7月25日,水曜日。伯父への連絡は前日の夜のうちに済ませましたが,介護ベッドの業者へのベッドの引き取りの依頼の電話はこの日にしました。これは躊躇があったからというわけではなく,時間的な都合です。前日は業者に電話をするにはもう遅いと思われる時刻になってからの帰宅でした。業者は翌日に片付けに来るとのことでした。時間帯が午後3時から5時の間と長くなっていましたので,その間は自宅に滞在している必要がありました。
見舞いは午後からでした。この日に病室が有料部屋から無料部屋に移動になりました。この日の移動は事前には伝えられていませんでした。