昨晩は南関東重賞では最も長い距離の第57回大井記念が行われました。
ケイアイライジンの逃げを想定していましたがまず先手を奪ったのはドモナラズで,ケイアイライジンは無理せず2番手から。1周目の正面に入ると外をトーセンゴライアスが上昇していき,1コーナーでは先頭に立ってこの馬の逃げに。外からケイアイライジンが2番手を確保し,ドモナラズは早くも後退。エプソムアーロンが3番手に上がり,トーセンルーチェ,マズルブラスト,ラストキングといったあたりが好位を形成。最初の1000mは64秒1で,これはミドルペースといえるでしょう。
向正面でケイアイライジンが先頭に出るとトーセンゴライアスは後退。これについていったのはマズルブラストで,この順番で直線に。しかし絶好の手応えで追走していたトーセンルーチェは,あまり外には出さずに追い出され,そのまま突き抜けて快勝。中団追走から一旦は後退したピサノエミレーツが大外を豪快に伸びて2着。中団から漸進してきたナムラブレットが3着。
優勝したトーセンルーチェは2月の金盃以来の南関東重賞2勝目。現時点で南関東のこの路線ではトップに立とうかという力があり,ここは順当な勝利。ここ一連の成績がフロックではないということを証明した形で,あるいは重賞制覇も可能な馬かもしれません。半兄は現役で,NARグランプリでは2007年,2008年,2010年,2011年と4度の年度代表馬に輝き,2006年は2歳最優秀馬,2009年も4歳以上最優秀馬のフリオーソ。
騎乗した船橋の張田京[たかし]騎手は3月の桜花賞以来の南関東重賞制覇で第52回以来となる5年ぶりの大井記念2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は大井記念初勝利。
このときの伯母の来日は,昨年の暮れの祖母の死と関係しています。この直後に執り行われる予定になっていた,四九日法要,そしてそれに伴う納骨に出席するためのものでした。
実は通夜と葬儀の後で,この法要をどのように営むのかということはすでに話題に上っていました。といいますのも,祖母の墓は大和市内にありまして,その前の法要をどうするのかということは,当然のこととして問題とならざるを得なかったからです。
祖母には3人の子がありましたが,母と伯母は嫁いでいます。必然的に遺骨は叔父が管理していて,アパートにありました。仏壇の前に安置してあったわけです。したがって普通ならばアパートで法要を行い,大和まで納骨に行くというのが常識的でしょう。しかしこれは法要後の移動時間がかなり長くなってしまいます。それにこのアパートは,アパートとしてはわりと広く,キッチンを除いて二部屋あり,これは仕切りを取り外せましたから,ある程度の人数を集めて法要を行うことは可能ではありましたが,十分な余裕があるほど広かったというわけでもありません。
一方,寺の本堂は当然ながら法要を行うのに十分な広さがあったわけですが,何しろこちらは平塚市内で,墓との距離はアパートよりさらに遠くなりますし,何より僕たちがそこまで出掛けて行くというのが大変です。こうした事情から,法要をどうするのかということは,それを行う以上は以前から問題としてあったのです。
遺骨を管理していたのは叔父ですし,当然ながら墓地の名義も叔父になっています。よって最終的には,この段取りは叔父に一任されることになりました。そして決定したのが,四九日法要と納骨は1月28日の土曜日に行うということ。そして場所ですが,叔父が頼んで墓地の管理施設の事務所を借りることが可能となり,そこで行うことになりました。当然ながらこれは墓地のすぐ近く,というよりこの墓地は非常に小さなものでしたから目と鼻の先で,非常に賢明な選択であったと思います。
ケイアイライジンの逃げを想定していましたがまず先手を奪ったのはドモナラズで,ケイアイライジンは無理せず2番手から。1周目の正面に入ると外をトーセンゴライアスが上昇していき,1コーナーでは先頭に立ってこの馬の逃げに。外からケイアイライジンが2番手を確保し,ドモナラズは早くも後退。エプソムアーロンが3番手に上がり,トーセンルーチェ,マズルブラスト,ラストキングといったあたりが好位を形成。最初の1000mは64秒1で,これはミドルペースといえるでしょう。
向正面でケイアイライジンが先頭に出るとトーセンゴライアスは後退。これについていったのはマズルブラストで,この順番で直線に。しかし絶好の手応えで追走していたトーセンルーチェは,あまり外には出さずに追い出され,そのまま突き抜けて快勝。中団追走から一旦は後退したピサノエミレーツが大外を豪快に伸びて2着。中団から漸進してきたナムラブレットが3着。
優勝したトーセンルーチェは2月の金盃以来の南関東重賞2勝目。現時点で南関東のこの路線ではトップに立とうかという力があり,ここは順当な勝利。ここ一連の成績がフロックではないということを証明した形で,あるいは重賞制覇も可能な馬かもしれません。半兄は現役で,NARグランプリでは2007年,2008年,2010年,2011年と4度の年度代表馬に輝き,2006年は2歳最優秀馬,2009年も4歳以上最優秀馬のフリオーソ。
騎乗した船橋の張田京[たかし]騎手は3月の桜花賞以来の南関東重賞制覇で第52回以来となる5年ぶりの大井記念2勝目。管理している船橋の川島正一調教師は大井記念初勝利。
このときの伯母の来日は,昨年の暮れの祖母の死と関係しています。この直後に執り行われる予定になっていた,四九日法要,そしてそれに伴う納骨に出席するためのものでした。
実は通夜と葬儀の後で,この法要をどのように営むのかということはすでに話題に上っていました。といいますのも,祖母の墓は大和市内にありまして,その前の法要をどうするのかということは,当然のこととして問題とならざるを得なかったからです。
祖母には3人の子がありましたが,母と伯母は嫁いでいます。必然的に遺骨は叔父が管理していて,アパートにありました。仏壇の前に安置してあったわけです。したがって普通ならばアパートで法要を行い,大和まで納骨に行くというのが常識的でしょう。しかしこれは法要後の移動時間がかなり長くなってしまいます。それにこのアパートは,アパートとしてはわりと広く,キッチンを除いて二部屋あり,これは仕切りを取り外せましたから,ある程度の人数を集めて法要を行うことは可能ではありましたが,十分な余裕があるほど広かったというわけでもありません。
一方,寺の本堂は当然ながら法要を行うのに十分な広さがあったわけですが,何しろこちらは平塚市内で,墓との距離はアパートよりさらに遠くなりますし,何より僕たちがそこまで出掛けて行くというのが大変です。こうした事情から,法要をどうするのかということは,それを行う以上は以前から問題としてあったのです。
遺骨を管理していたのは叔父ですし,当然ながら墓地の名義も叔父になっています。よって最終的には,この段取りは叔父に一任されることになりました。そして決定したのが,四九日法要と納骨は1月28日の土曜日に行うということ。そして場所ですが,叔父が頼んで墓地の管理施設の事務所を借りることが可能となり,そこで行うことになりました。当然ながらこれは墓地のすぐ近く,というよりこの墓地は非常に小さなものでしたから目と鼻の先で,非常に賢明な選択であったと思います。