日本のテレビによる競馬中継は,日本テレビが船橋競馬を中継したのが始まり。船橋で日本テレビ盃が行われるひとつの理由はここにあります。
ナイキアディライトが正面では先手を奪ったように見えたのですが,外からナンヨーリバーが追っていき,向正面ではほぼ並びながらもこちらがやや前に出ての逃げ。フリオーソはその後ろからのレース。最初の800メートルが45秒4という猛烈なハイペースになりました。
フリオーソはこれを3コーナー手前から早くも動いていき,前の2頭を交わして直後にいたコアレスデジタルと並ぶように直線に。中団にいたボンネビルレコードが少し離れた3番手に追い上げました。フリオーソはコアレスデジタルは難なく振り切ったのですが,さすがに力を使い果たしていたようで,ボンネビルレコードの追い上げには抵抗できず,差しきったボンネビルレコードが優勝。前半が早かった影響もあり,レコードタイムのおまけつき。フリオーソが2着で,3着には後方から追い込んできたサンライズバッカスが入り,有力3頭による順当な結果となりました。
優勝したボンネビルレコードは5月のかしわ記念以来の勝利で重賞は3勝目。母系祖先はダイナゴン。やはりこの馬,船橋コースにはかなりの適性があるようです。フリオーソにはこれが初の先着ですが,今日は展開面の利も大きかったように思います。
JRAの馬ですが,主戦といえる大井の的場文男騎手もかしわ記念以来の重賞・南関東重賞制覇。重賞よりは南関東重賞勝ちが多い騎手で,日本テレビ盃は初優勝。管理する堀井雅広調教師も日本テレビ盃は初制覇です。
フリオーソはさすがに強気に乗りすぎた気がします。それでもそうも差をつけられずに2着を確保したのは,やはり力の表れとみていいのではないでしょうか。
今度は,僕の失禁の説明の第三の場合にある,排尿という運動を否定する思惟の様態とは何かということを考えておかなければなりません。そしてこれもまた,スピノザの哲学に論理的に訴えるだけであれば,これは意志であるということができます。
この説明は単純にいますと,自分の身体について,排尿という運動をなすことを否定するような思惟の様態ということになります。そして経験的に考えてみた場合でも,実際に僕たちのほとんどは,こうした思惟の様態を有した経験があるといえるのです。ただし,こうした思惟の様態を僕たちが意識するときには,僕たちは普通は排尿することを否定するような思惟の様態としてではなく,自分の身体が排尿という運動をしないことを肯定するような思惟の様態として知覚します。もっと分かりやすくいえば,排尿を我慢することを肯定するような思惟の様態として知覚するのです。僕たちはたとえば街中で尿意というものを表象すれば,すぐに自分の身体が排尿という運動をなすことを肯定せずに,むしろ排尿を我慢することの方を肯定し,その間にどこかにトイレはないかと探すのではないでしょうか。そしてこうしたことは,かなり多くの人が経験したことがるのではないかと思います。
僕が排尿という運動を否定するような思惟の様態という場合には,このように,排尿をしないことを肯定するような思惟の様態というものも含んでいます。そして排尿を我慢するということは,思惟の様態としては,僕たちはやはり意志として認識するのではないでしょうか。つまり,人間の精神がこのような状態にある場合に,この人間の身体が排尿という運動をなすとき,これは第三の場合の失禁に該当するということになります。そして確かにこれは,僕たちが失禁ということばを形相的にではなく客観的に考える限りでは,最初にイメージするようなものなのではないかと思います。
ナイキアディライトが正面では先手を奪ったように見えたのですが,外からナンヨーリバーが追っていき,向正面ではほぼ並びながらもこちらがやや前に出ての逃げ。フリオーソはその後ろからのレース。最初の800メートルが45秒4という猛烈なハイペースになりました。
フリオーソはこれを3コーナー手前から早くも動いていき,前の2頭を交わして直後にいたコアレスデジタルと並ぶように直線に。中団にいたボンネビルレコードが少し離れた3番手に追い上げました。フリオーソはコアレスデジタルは難なく振り切ったのですが,さすがに力を使い果たしていたようで,ボンネビルレコードの追い上げには抵抗できず,差しきったボンネビルレコードが優勝。前半が早かった影響もあり,レコードタイムのおまけつき。フリオーソが2着で,3着には後方から追い込んできたサンライズバッカスが入り,有力3頭による順当な結果となりました。
優勝したボンネビルレコードは5月のかしわ記念以来の勝利で重賞は3勝目。母系祖先はダイナゴン。やはりこの馬,船橋コースにはかなりの適性があるようです。フリオーソにはこれが初の先着ですが,今日は展開面の利も大きかったように思います。
JRAの馬ですが,主戦といえる大井の的場文男騎手もかしわ記念以来の重賞・南関東重賞制覇。重賞よりは南関東重賞勝ちが多い騎手で,日本テレビ盃は初優勝。管理する堀井雅広調教師も日本テレビ盃は初制覇です。
フリオーソはさすがに強気に乗りすぎた気がします。それでもそうも差をつけられずに2着を確保したのは,やはり力の表れとみていいのではないでしょうか。
今度は,僕の失禁の説明の第三の場合にある,排尿という運動を否定する思惟の様態とは何かということを考えておかなければなりません。そしてこれもまた,スピノザの哲学に論理的に訴えるだけであれば,これは意志であるということができます。
この説明は単純にいますと,自分の身体について,排尿という運動をなすことを否定するような思惟の様態ということになります。そして経験的に考えてみた場合でも,実際に僕たちのほとんどは,こうした思惟の様態を有した経験があるといえるのです。ただし,こうした思惟の様態を僕たちが意識するときには,僕たちは普通は排尿することを否定するような思惟の様態としてではなく,自分の身体が排尿という運動をしないことを肯定するような思惟の様態として知覚します。もっと分かりやすくいえば,排尿を我慢することを肯定するような思惟の様態として知覚するのです。僕たちはたとえば街中で尿意というものを表象すれば,すぐに自分の身体が排尿という運動をなすことを肯定せずに,むしろ排尿を我慢することの方を肯定し,その間にどこかにトイレはないかと探すのではないでしょうか。そしてこうしたことは,かなり多くの人が経験したことがるのではないかと思います。
僕が排尿という運動を否定するような思惟の様態という場合には,このように,排尿をしないことを肯定するような思惟の様態というものも含んでいます。そして排尿を我慢するということは,思惟の様態としては,僕たちはやはり意志として認識するのではないでしょうか。つまり,人間の精神がこのような状態にある場合に,この人間の身体が排尿という運動をなすとき,これは第三の場合の失禁に該当するということになります。そして確かにこれは,僕たちが失禁ということばを形相的にではなく客観的に考える限りでは,最初にイメージするようなものなのではないかと思います。