昨晩のホクトベガメモリアルの第21回スパーキングレディーカップ。
事前の予想通りにトーコーヴィーナスがハナへ。一旦は外によれ,また内に戻るような走行でした。2番手にはララベル。この後ろは4頭が一団でしたが向正面に入るとサクラフローラが単独の3番手に。内目の4番手にアンジュデジール。発走後の正面では中団にいたホワイトフーガは外を漸進して向正面の半ばではこの外に。タイニーダンサーも向正面の中ほどから動いていき,3コーナーではその後ろまで取りつきました。前半の800mは50秒8でスローペースに近いくらいのミドルペース。
3コーナーを回るとトーコーヴィーナスにララベルが並び掛け,直線の入口ではこちらが先頭に。サクラフローラは一杯になりララベルの外からホワイトフーガが追い掛けてきましたが,直線に入ると伸びを欠きました。先にホワイトフーガを行かせて内目を回ったアンジュデジールがトーコーヴィーナスの外に進路を取り,先頭に立ったララベルを内から追い抜くと最後は突き放して優勝。ララベルが1馬身半差で2着。コーナーは最内をタイトに回ったタイニーダンサーがトーコーヴィーナスとホワイトフーガの間から差し込んで3馬身差の3着。末脚を欠いたホワイトフーガは1馬身半差の4着でさらに1馬身差でトーコーヴィーナスが5着。
優勝したアンジュデジールは重賞初制覇。前走の関東オークスは離されたとはいえ2着。古馬とのレベル差は不明でしたが,2着のララベルは重賞を勝てる力はある馬なので,斤量差はあってもそれだけのレベルには達していたと考えていいのではないかと思います。距離が短縮したのもたぶんプラスに作用したと思えますので,これくらいの距離では重賞勝利を重ねていくことができるのではないかと思います。この結果からすると今年の3歳馬の全体的なレベルは昨年よりも高そうです。父はディープインパクト。母の半弟に今年の川崎記念を勝った現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
メモリアルになっているホクトベガの主戦騎手だった横山典弘騎手はスパーキングレディーカップ初勝利。管理している昆貢調教師もスパーキングレディーカップ初勝利。
ホワイトフーガは58キロでもこの距離なら勝たなければおかしいですが,前走で1400mを使って早めのレースをしたので,ここは適距離でも抑えが利かないかもしれないという不安はありました。その不安が的中したようなレース内容であったと思います。
河井がいう飛躍というのは概ね次のようなものとして理解できます。
第二部定理三四を論証するとき,スピノザは現実的に存在するある人間の精神mens humanaの本性essentiaを,その人間の精神の本性を構成するする限りでの神Deusと等置します。しかし第二部定理三二でいわれている神というのは,第一部定義六にいわれているような神,すなわち絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamでなくてはなりません。つまり後者が神それ自身であるとしたら,前者はある様態的変状modificatioに様態化した神であるのです。ところがスピノザは,様態的変状に様態化した神について論証するときに,絶対に無限である神についていわれている事柄に訴求し,そこに何の矛盾も感じていないのです。
実際にそこに矛盾があるということを河井は強硬に主張したいわけではありません。この部分だけを抽出するのは,河井の関心よりも僕の関心に重きが置かれているからだと考えてください。実は僕自身も,こことは別の個所において,こうした飛躍ないしは矛盾を感じる部分が『エチカ』の中にはあるからです。
ただ,僕の関心ついて考察する前に,ここで河井がいっていることの妥当性だけは説明しておきたく思います。というのは,第二部定理三二というのは,すべての観念が神に関係づけられる限りにおいて真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, veraeであるといわれているのですから,その神が絶対に無限な神でなければならないということが,少なくとも定理Propositioの文言のうちに含まれているともいいきれないからです。むしろここではある特定の観念と関係づけられる限りでの神について言及されているのであり,それはその観念という様態的変状に様態化した神について言及されているのだと解せなくありません。そしてその解釈の方が正しいのであれば,第二部定理三四の証明Demonstratioと第二部定理三二との間には何の飛躍もないといわなければならないでしょう。
このためにはスピノザが第二部定理三二をどう証明するのかということの検証が不可欠です。そしてスピノザがその証明のために訴求しているのはただふたつの事柄だけです。ひとつは第二部定理七系です。そしてもうひとつが第一部公理六です。これらの二箇所への訴求は,どんな意味を帯びているのでしょうか。
事前の予想通りにトーコーヴィーナスがハナへ。一旦は外によれ,また内に戻るような走行でした。2番手にはララベル。この後ろは4頭が一団でしたが向正面に入るとサクラフローラが単独の3番手に。内目の4番手にアンジュデジール。発走後の正面では中団にいたホワイトフーガは外を漸進して向正面の半ばではこの外に。タイニーダンサーも向正面の中ほどから動いていき,3コーナーではその後ろまで取りつきました。前半の800mは50秒8でスローペースに近いくらいのミドルペース。
3コーナーを回るとトーコーヴィーナスにララベルが並び掛け,直線の入口ではこちらが先頭に。サクラフローラは一杯になりララベルの外からホワイトフーガが追い掛けてきましたが,直線に入ると伸びを欠きました。先にホワイトフーガを行かせて内目を回ったアンジュデジールがトーコーヴィーナスの外に進路を取り,先頭に立ったララベルを内から追い抜くと最後は突き放して優勝。ララベルが1馬身半差で2着。コーナーは最内をタイトに回ったタイニーダンサーがトーコーヴィーナスとホワイトフーガの間から差し込んで3馬身差の3着。末脚を欠いたホワイトフーガは1馬身半差の4着でさらに1馬身差でトーコーヴィーナスが5着。
優勝したアンジュデジールは重賞初制覇。前走の関東オークスは離されたとはいえ2着。古馬とのレベル差は不明でしたが,2着のララベルは重賞を勝てる力はある馬なので,斤量差はあってもそれだけのレベルには達していたと考えていいのではないかと思います。距離が短縮したのもたぶんプラスに作用したと思えますので,これくらいの距離では重賞勝利を重ねていくことができるのではないかと思います。この結果からすると今年の3歳馬の全体的なレベルは昨年よりも高そうです。父はディープインパクト。母の半弟に今年の川崎記念を勝った現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
メモリアルになっているホクトベガの主戦騎手だった横山典弘騎手はスパーキングレディーカップ初勝利。管理している昆貢調教師もスパーキングレディーカップ初勝利。
ホワイトフーガは58キロでもこの距離なら勝たなければおかしいですが,前走で1400mを使って早めのレースをしたので,ここは適距離でも抑えが利かないかもしれないという不安はありました。その不安が的中したようなレース内容であったと思います。
河井がいう飛躍というのは概ね次のようなものとして理解できます。
第二部定理三四を論証するとき,スピノザは現実的に存在するある人間の精神mens humanaの本性essentiaを,その人間の精神の本性を構成するする限りでの神Deusと等置します。しかし第二部定理三二でいわれている神というのは,第一部定義六にいわれているような神,すなわち絶対に無限なabsolute infinitum実体substantiamでなくてはなりません。つまり後者が神それ自身であるとしたら,前者はある様態的変状modificatioに様態化した神であるのです。ところがスピノザは,様態的変状に様態化した神について論証するときに,絶対に無限である神についていわれている事柄に訴求し,そこに何の矛盾も感じていないのです。
実際にそこに矛盾があるということを河井は強硬に主張したいわけではありません。この部分だけを抽出するのは,河井の関心よりも僕の関心に重きが置かれているからだと考えてください。実は僕自身も,こことは別の個所において,こうした飛躍ないしは矛盾を感じる部分が『エチカ』の中にはあるからです。
ただ,僕の関心ついて考察する前に,ここで河井がいっていることの妥当性だけは説明しておきたく思います。というのは,第二部定理三二というのは,すべての観念が神に関係づけられる限りにおいて真omnes ideae, quatenus ad Deum referuntur, veraeであるといわれているのですから,その神が絶対に無限な神でなければならないということが,少なくとも定理Propositioの文言のうちに含まれているともいいきれないからです。むしろここではある特定の観念と関係づけられる限りでの神について言及されているのであり,それはその観念という様態的変状に様態化した神について言及されているのだと解せなくありません。そしてその解釈の方が正しいのであれば,第二部定理三四の証明Demonstratioと第二部定理三二との間には何の飛躍もないといわなければならないでしょう。
このためにはスピノザが第二部定理三二をどう証明するのかということの検証が不可欠です。そしてスピノザがその証明のために訴求しているのはただふたつの事柄だけです。ひとつは第二部定理七系です。そしてもうひとつが第一部公理六です。これらの二箇所への訴求は,どんな意味を帯びているのでしょうか。