スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハイセイコー記念&遺言

2018-11-15 19:16:55 | 地方競馬
 昨晩の第51回ハイセイコー記念
 先手を奪いにいったのはハナズボンダイとトーセンボルガの2頭。1周目の正面では並んで逃げる形でしたが,1コーナーからのコーナーワークで内のハナズボンダイが前に出て,1馬身半ほどの差をつけての逃げに。トーセンボルガが2番手。3番手集団にシビックヴァーゴ,フォルベルス,ネオブリランテの3頭。ラプラスを挟んでグラビテーションとマムティキングが併走となり,この8頭が集団。2馬身ほど離れた後方グループにダルヴァザ,チューダ,トーセンスプモーニ,ホクトローリーの4頭。ここから2馬身ほど離れた最後尾にトーセンイマジン。前半の800mは50秒8のハイペース。
 3コーナーを回るとハナズボンダイにトーセンボルガが並び掛け,この後ろは内にシビックヴァーゴで外には向正面で早めに追い上げていたラプラス。この4頭が直線の入口では5番手以下を引き離しました。ハナズボンダイが内を開けて回ってきたので,内を回ったシビックヴァーゴはそのまま最内を突き,ハナズボンダイ,トーセンボルガ,ラプラスでまず4頭の競り合い。ここから抜け出したのがシビックヴァーゴとトーセンボルガで優勝争いはこの2頭。この争いにも外のラプラスが決着をつけ,最後は抜け出す形で優勝。シビックヴァーゴが1馬身差で2着。4コーナーでは離れた5番手になってしまったグラビテーションが直線はよい伸びを見せ,ハナズボンダイとの競り合いは制したトーセンボルガに迫ってフィニッシュ。首の上げ下げはグラビテーションに軍配が上がり3馬身半差で3着。トーセンボルガがハナ差の4着でハナズボンダイは半馬身差の5着。6着以下はここから7馬身もの差をつけられました。
 優勝したラプラスは6月に新馬を勝ち7月の特選も勝利。前哨戦のゴールドジュニアーは2着でここに参戦。特選の2着と前走の優勝馬がここの2着馬だったことから,この2頭の力はほかより上ということは明解になりました。3着馬が鎌倉記念で離されたとはいえ3着に入っていますので,間違いなく平和賞組よりもレベルは上。同時に鎌倉記念を勝ったミューチャリーは相当の器であることもはっきりしたといえるでしょう。父は2008年にピーターパンステークスに勝ったカジノドライヴ。Laplaceはフランス語圏のの姓。
 騎乗した大井の矢野貴之騎手は東京ダービー以来の南関東重賞16勝目。ハイセイコー記念は初勝利。管理している大井の藤田輝信調教師は南関東重賞10勝目でハイセイコー記念は初勝利。

 緩和病棟は延命のための治療は一切しません。ですから食事の提供を中止したから栄養を補給するために点滴をするという類の処置はありません。母は点滴はしていましたが,これは鎮痛剤です。延命のための治療はしませんが,痛みや苦しみを和らげまた除去するための治療には全力を尽くしてくれます。カテーテルの挿入もそういう意味の治療の一貫であったと理解してください。
 8月3日,金曜日。この日は午前中に見舞いに行き,母の病室で昼食を摂りました。これは妹を迎えに行かなければならなかったからです。ただ僕が病院を出るまでの間,母はずっと眠っていましたので,話をすることはできませんでした。妹は楽しみにしていた7月28日の盆踊りは台風の影響で中止になってしまったものの,29日にはホームでカラオケをすることができ,それなりに楽しむことはできたようです。
 8月4日,土曜日。この日は妹を連れて午後から母の見舞いに行きました。この日は母はベッドを起こして水を飲みました。僕の目の前で母が水を飲んだのはこれが最後です。すでに看護師からの話があったように,意識が朦朧とするところもあり,すべての会話が成立したわけではありませんが,話をすることもできました。会話という意味での話をしたのもこれが最後となりました。
 帰り際に母は妹に対し,自分は見ているのだから元気で頑張るようにという主旨のことを言いました。また,僕に対してはお世話になりましたという意味のことを言いました。妹や僕にとってはこれが母からの最後の言葉になりました。これは前にも書きましたが,僕にせよ妹にせよ,母がいなければ育つということは無理だったのですから,お世話になったのは僕たちの方であり,確かに始まりの日より後は僕も母に対して介護めいたことをしたものの,そのことばを言わなければならないのは僕たちの方であったのは間違いありません。ただ,僕がしたことに対して母が感謝の気持ちを持っているということは分かりましたので,その点では安心することができました。
 妹に対してのことばは遺言に近かったでしょう。これは今でも妹に僕から言い聞かせることがあります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王戦&医師の所見

2018-11-14 19:08:42 | 将棋
 1日と2日に鹿島神宮で指された第31期竜王戦七番勝負第三局。
 羽生善治竜王の先手で角換り相腰掛銀。後手の広瀬章人八段が駒得の代償に受け身に回ったので先手が猛攻。僕は先手の攻めはさすがに無理なのではないかと思っていたのですが,厳密には繋がっていたようです。
                                     
 先手が☗4三歩☖同金と叩いて2五の龍で2二の歩を取った局面。ここは☖3二銀と受ける一手です。
 先手は☗2一銀と打ちましたがここは☗4二歩もあったところで,あるいはそちらの方が優ったのかもしれません。
 後手は☖同銀と取って☗同龍に☖3一桂と受けました。これだと☗3二銀☖5二玉☗4三銀成☖同玉までは必然でしょう。先手は☗2二龍と引き後手は☖4五銀と桂馬を外しました。
                                     
 もう切れ模様のようですが☗4四歩と叩けば攻めが続いたようです。しかし☗4二金と打ってしまったために☖5三玉☗5二金☖6四玉☗4二龍とした局面で反撃され,受けに龍を使わなければならない展開になってしまいました。
 広瀬八段が勝って1勝2敗。第四局は24日と25日です。

 帰り際に看護師から声を掛けられました。
 酸素吸入器が鼻から管を通すものから鼻と口を覆うマスク状のプラスチック製のものへ変化していたのですが,これは血中の酸素濃度の低下が顕著であるためだということでした。そしてこの影響で,意識が混濁することがあると伝えられました。実際にこの日,たとえば僕はお寺の奥さんから前夜にあった電話の話をしましたが,その会話はすべてが成立していたというわけではなく,成立していない部分もあったのです。
 血圧は現時点では異常はないとのことでしたが,容態が急変する可能性はあるので,そのことは理解しておいてほしいとも伝えられました。これについては僕は以前からそういう状況に入っているという認識がありましたので,いよいよ看護師からもそういう話を伝えられる状況に至ったのだと思いました。
 8月2日,木曜日。午前11時半前に病院からの電話がありました。医師から僕の方に伝えておきたいことがあるので,見舞いにきたときにナースステーションに寄って声を掛けるようにとの連絡でした。見舞いに行ったのは午後1時15分です。病室に行く前に医師の話を聞きました。医師によれば,現状は痛みと苦しみを除去しているという状況で,診察している限りでは,それは成功している,いい換えれば母は痛みも苦しみも感じていないと推定されるとのことでした。これは僕が見た限りでも確かにそうで,母はそうしたことを訴えることはありませんでしたし,身体的に痛みや苦しみがあるというようにも感じることはありませんでした。余命についてはもう本人の体力がどれくらい残っているのかということがすべてであるということでした。いい換えればすでに余命があとどれくらいであるのかということをはっきりと判定するような状態を通り越しているということです。
 看護師からは,もうトイレに行くのも大変だろうから,カテーテルを挿入したと伝えられました。食事はしていないので,排便はもうないだろうとのことで,この日から母はベッドより外に出ることはなくなりました。また,食事は摂れないので,この日の夕食から食事の提供は中止するとのことでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸黄門賞&マットレス

2018-11-13 18:55:59 | 競輪
 取手記念の決勝。並びは吉沢に松谷‐五十嵐の神奈川,山中‐和田の千葉,吉田‐林の愛知で山崎芳仁と山崎賢人は単騎。
 林と和田がスタートを取りにいき,内の林が誘導の後ろを確保し吉田の前受け。3番手に山中,5番手に吉沢,8番手に山崎賢人,最後尾に山崎芳仁で周回。山崎芳仁は山崎賢人をマークするレースになりました。残り2周のホームの入口で吉沢が動き出すと,先んじて動いた山中が吉田を叩き,吉沢は山中を叩く形に。このラインを山崎賢人も追いましたが,山中が五十嵐の後ろから引かなかったので,4番手が山中と山崎賢人の併走になって打鐘。ここではまだスローペース。吉田がコーナーで追い出しにかかったので吉沢がホームから発進。4番手の併走はバックまで続きましたが,外の山崎賢人はそのまま発進。これを松谷が止めにかかり,山崎賢人はあっさりと乗り越えましたが山崎芳仁は離れました。捲った山崎賢人はそのまま後ろを千切って優勝。捲られた後で発進した松谷が3車身差の2着。松谷の外を伸びた山中が4分の1車輪差の3着で逃げ粘った吉沢が4分の1車輪差で4着。大外の吉田が4分の1車輪差の5着で和田と吉田の間になった山崎芳仁が微差の6着と,2着争いは5人による接戦でした。
 優勝した長崎の山崎賢人選手は7月の奈良のFⅠ以来の優勝。記念競輪は初優勝。今年の1月にS級に特別昇班した新鋭。FⅠではすでに4回も優勝していましたし,ビッグの決勝にも進出していましたから,記念競輪も手が届くところに来ていました。ここは吉田や山中は積極的に先行するタイプではなく,単騎になった山崎賢人に対して吉沢には神奈川勢がマークしてラインができましたので,吉沢の先行1車に近いメンバー構成。なので自分のペースで駆ければ吉沢が有利ではないかとみていました。実際にそういうレースになったのですが,脚を溜めにくい中団の外併走から楽に捲ってしまった山崎賢人の力がほかを凌駕していたという結果。相当の活躍を見込んでいい選手だと思います。

 8月1日,水曜日。この日は午後から見舞いに行きました。
 最近は僕が到着したときには眠っているということが多かったのですが,この日は横になっていたものの目覚めていました。この日から酸素吸入器が,鼻から管を通す方式のものから,鼻と口にプラスチック製のマスクを当てるものへ変化していました。これはもちろん血中の酸素の濃度がそれだけ薄くなってきていたからです。
 この後,母はベッドを起こして水とお茶を飲みました。鼻から管を通す吸入器であればそのまま飲食をすることができますが,この日からはマスクですからそれを外す必要がありました。また,水とお茶は飲んだのですが,口にすることができるのはそういった飲み物だけになりました。つまりこの日からは何かを食べるということはできなくなったわけです。
 前夜にあったお寺の住職の奥さんの電話の話については,実際にはTさんからの報告だけではなく,今後のことも含まれていましたから,Tさんのことだけではなく,そうしたことも伝えました。もしかしたら母自身が奥さんと会って最後に何か言っておきたいことがあるかもしれないと思いましたので,そのことについても尋ねましたが,自分の死後のことについては僕と奥さんが相談してすべてを決定すればよいので,奥さんには見舞いには来てもらわなくてもよいとの返事でした。
 この後,看護師が母のベッドを交換してくれました。これはマットレスを空気式の柔らかいものにするという交換でした。母はまだ何とか寝返りを打つことはできたのですが,もう少し時間が経過すればそれもできなくなることが想定されました。もちろん,どんなにマットが柔らかかろうと床擦れは起こしますから,看護師が寝返りさせてくれますが,少しでも効果的ではあるでしょう。また,食べられなくなったのはこの日からでも,前日までに食べていた量というのも非常に少なく,栄養は明らかに不足してましたから,母はかなり痩せてきていました。したがって硬めのマットレスの上に寝るとそれだけで痛みを感じることがあったようで,その痛みを和らげるための交換でもありました。母は楽になったと言っていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王座戦&Tさん

2018-11-12 19:00:41 | 将棋
 10月30日に湯村温泉で指された第66期王座戦五番勝負第五局。
 振駒で斎藤慎太郎七段の先手になり角換り。先手は腰掛銀にしましたが中村太地王座が腰掛ける前に6筋の歩を伸ばし,先手がそれを咎めにいく将棋となりました。
                                     
 先手が6筋で歩を交換した局面。8筋が開いたので後手は☖8六歩☗同歩☖同飛☗8七歩と交換して☖8一飛と引きました。ごく自然な手順ですがこの飛車の引き場所がよくなかったかもしれません。
 先手は☗5五銀左と進出させ☖6四歩の受けに☗6九飛と回って6筋を狙いに。後手はそれを避けるために☖6五桂と跳ねたのですがそこで☗4五角と打たれました。
 これも次に☗6四銀と取られてしまうのでそれを避けるために☖8二飛。先手はそこで☗2四歩☖同歩と突き捨てておいて☗6六歩と打ちました。
                                     
 第2図となっては後手は攻め込んでいくほかありません。しかしその攻めを先手がしっかりと受け止めて勝ちました。
 3勝2敗で斎藤七段が王座を獲得。これが初のタイトル獲得です。

 夜になってから,お寺の住職の奥さんから電話がありました。本門仏立宗の信者で奥さんの知り合いにTさんという方がいて,この方は妹が通っている通所施設に通っている人の保護者であるということでした。また,Tさんの自宅は妹が入所しているグループホームの近所で,この関係からグループホームに顔を出すこともあり,妹とも顔見知りだということでした。Tさんから奥さんに対して,妹が元気にしているとの連絡があったので,それを僕に伝えてくれたものでした。事情を知っている方は不審に思われるかもしれませんが,たぶん奥さんは妹がずっとグループホームで過ごしていると思い込んでいて,基本的に週末は帰宅していると思っていなかったのでしょう。つまり僕が長いこと妹と会っていないと思っていたために,こうした電話を掛けてきてくれたのだと思います。
 僕は後にTさん本人とも会いましたが,Tさんは単に妹と知り合いというだけでなく,母とも知り合いでした。この電話のことは翌日に母に話しましたが,確かに母もTさんのことを知っていると言っていました。妹が入所したグループホームも,昨年暮れから通うようになった通所施設も,それまで妹が通っていた通所施設と同じ法人が運営しています。妹が卒業した養護学校も同じ法人の運営で,妹は一時的に別法人が運営する通所施設に通っていましたが,後に通所施設を変えた,一般的ないい方をすれば転職したのはこうした理由があったからでした。そしてこの法人組織に保護者が参加する会合があり,Tさんと母はそこで知り合ったようです。なので,もしかしたらTさんは妹より先に母と知り合いになっていたのではないかと思われます。ただそのときは,Tさんが本門仏立宗の信者であるということは母は知らず,後に知ることになりました。実はTさんが檀家になっているのはこのお寺ではなく同じ宗派の別のお寺です。それでいてこちらのお寺の奥さんとも知り合いであったということは,おそらくTさんは,母や僕のような,いわば名目上の信者というわけではなく,熱心な信者なのでしょう。お寺間の行き来に参加していたから,奥さんとも知り合ったと思われるからです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エリザベス女王杯&写真盾

2018-11-11 19:01:56 | 中央競馬
 第43回エリザベス女王杯。幸騎手が6レースで落馬し負傷したためプリメラアスールは藤岡佑介騎手に変更。
 プリメラアスールは騎手の手が動いていましたが,クロコスミアがハナに立つと控えました。2番手はプリメラアスールとミスパンテール。4番手にモズカッチャン,カンタービレ,ノームコアの3頭。7番手にレッドジェノヴァ,フロンテアクイーン,コルコバードの3頭。10番手がリスグラシューで11番手にレイホーロマンス,ヴァフラーム,エテルナミノルの3頭。14番手にアドマイヤリードとワンブレスアウェイの2頭で16番手がスマートレイアー。最後尾がハッピーユニバンス。17頭が一団での競馬。最初の1000mは61秒4の超スローペース。
 クロコスミアのリードは3コーナーではそれまでより広がっていました。ここから少しづつ差が詰まっていったのですが,直線に入るとまたクロコスミアが後ろを離す形に。これを追い掛けることができたのは中団から外目を伸びたリスグラシューだけ。直線の後半はこの2頭の優勝争いに絞られ,差し切ったリスグラシューが優勝。逃げ粘ったクロコスミアがクビ差で2着。内目を通って早めに3番手に上がったモズカッチャンが前とは離されましたが後ろからの追い上げは何とか凌いで3馬身差の3着。
 優勝したリスグラシューは東京新聞杯以来の勝利。重賞は3勝目で大レースは初制覇。牡馬相手に重賞を勝つ力があり,かつ牝馬路線では大きく崩れたことが少ない馬なので,ここは優勝候補の1頭。ただ,昨年のこのレースが8着でオークスも5着だったことから,距離適性はもっと短いところにあると思われ,個人的にはその点を不安視していました。しかし今日はペースの関係でスタミナよりも瞬発力を問われるレースになり,この馬の持ち味を存分に発揮することができての優勝といえるのではないでしょうか。本質的にはもっと短い距離が得意であるという評価は変えなくていいと思います。今後も大きく崩れてしまうケースは少ないのではないでしょうか。父はハーツクライ。Lys Gracieuxはフランス語で優雅なユリ。
                                     
 騎乗したブラジルのジョアン・モレイラ騎手が日本馬に騎乗して大レースを勝つのは昨年のクイーンエリザベスⅡ世カップ以来で5勝目。日本では初めての大レース制覇。管理している矢作芳人調教師安田記念以来の大レース8勝目。エリザベス女王杯は初勝利。

 この日はベッドを起こして話をしただけではありませんでした。昼食に出たものの残してあった梨のシャーベットと煎餅を食べたからです。
 シャーベットはデザートとして昼食に出されるものでした。煎餅はカルシウム入りのもので,味としていえば海老煎餅に近いものです。この煎餅は消化器内科の病棟に入院していたときにも出されたことがあります。いずれも母が管理栄養士と相談した上で,昼食として出されることになったもので,すべての患者に出されていたわけではありません。
 母が食べ終えた後で,前夜に電話があり,僕から母の近況を伝えたSさんが見舞いに訪れました。ひとりではなく,やはり同じ中学で同僚であったMさんも一緒でした。MさんからSさんに電話があり,母の話題が出たので,どうしているだろうと思ったSさんが僕の家に電話を掛けてきたとのことでした。ですからそうしたやり取りがなかったら,もしかしたらSさんもMさんも母とは会うことがなかったかもしれません。
 前夜に電話があったことは先に僕が母に伝えておきましたので,ふたりが見舞いに来たことについて母にはさほどの驚きはありませんでしたが,もし僕の見舞いより前にふたりが来ていたら,びっくりしたのではないかと思います。母はSさんに写真のことについて何か依頼をしていました。母がふたりと話をしている間,僕も病室にいましたが,内容を詳しく聞くということは控えていましたので,具体的にどのような依頼があったのかは定かではありませんが,後日,Sさんは母と妹がふたりで笑顔で写っている写真を盾に入れて僕に届けてくれました。これはまだ母の生前のことです。ただその時点でこれを妹に見せてしまうと,妹が変に感じるだろうと思われましたので,しまっておきました。現在はこの写真盾は妹がグループホームに持っていき,部屋に飾ってあります。といっても僕は通所施設には行きますがグループホームには行きませんので,どのように飾ってあるのかは分かりません。
 見舞いを終えて帰宅しますと,横浜地裁からの手紙が届いていました。諸事情を考慮し,裁判員の選定の手続きには来なくていいという内容でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竜王戦&Sさん

2018-11-10 19:10:08 | 将棋
 先月の23日と24日に宮地嶽神社で指された第31期竜王戦七番勝負第二局。
 広瀬章人八段の先手で角換り相腰掛銀。先手が9筋の位を取って受け身になったので後手の羽生善治竜王から先攻。駒損の猛攻が続くかどうかが一局の焦点でした。
                                     
 この時点では後手が金と角桂の交換という状況。立ち止まるわけにはいかず☖3五歩と桂頭を狙いつつ戦線拡大。先手は☗2四歩☖同歩の突き捨てを入れてから☗4七角と受けました。
 後手は☖6六金と打ち☗6七銀打の受けに☖8九銀☗7七金と下段に追いました。ここでまた駒損が拡大。先手は☗5五角と金取りに打ちました。
 後手は☖6六歩。これを☗同角は☖6七金☗同銀☖8七歩で攻めきられてしまうようです。なので☗同金と取りました。
 金取りが消滅した後手は角を狙いにいきます。☖4三桂☗6四角☖6三歩がその手順。
                                     
 ここから後手は☗9一角成☖同飛と取って☗7九香と受けたのですが,この順で角を渡してしまったために先手の攻めが繋がり,そのまま押し切られることになりました。ここでは☗8二銀☖6一飛☗7一銀成☖同飛☗8二角成と,銀を捨てて角を助けるべきだったそうです。ただ,こういう手順でないといけないのなら☗5五角と打ったところで変わる手があるのでなければ,実戦的には後手が指しやすかったといえるのではないでしょうか。
 羽生竜王が連勝。第三局は1日と2日に指されました。

 7月29日,日曜日。この日もの様子は前日とほとんど同じでした。僕が着いたときに眠っていて,その後に目を覚まし,少し話をするとまた眠ってしまうという状況です。
 7月30日,月曜日。この日は28日および29日に比較すると,母の調子はよさそうに僕には見えました。ただ,体調というのは1日のうちでも一定しているというわけではなく,上下のバイオリズムがあるかと思います。僕はずっと母の様子を見ていたわけではありませんから,この日はたまたま母のバイオリズムのよい時間と,僕の見舞いの時間が重なっただけかもしれません。逆にいえば僕にはあまり調子がよくみえなかった28日と29日も,この日に僕が見たのと同じような調子だった時間帯があったかもしれません。
 とはいえ調子がよく見えたというだけで,僕が着いたときに眠っていたのはここ2日と同じですし,話をした後でまた眠ってしまうというのもやはり同様でした。顔色とか声の調子や力強さといった部分が,違うように僕には感じられたのです。このように,話をした後でまた眠ってしまう段階で僕は帰宅するようになりましたので,病院での滞在時間というのはそれまでよりも短くなりました。
 この日の夜,母が最後に,つまり退職する時点で勤務していた中学校の同僚であったSさんから電話がありました。僕はそれまでに会ったことはなかったのですが,妹はこの中学校の同窓会に何度も出席していましたから,妹とは顔見知りの方です。母が大腸癌であるということは知っていまして,近況を尋ねる電話でした。すでに緩和病棟に入院していること,現時点で話をすることはできるということ,しかしもう長くはないと思われるので,もし会うということであれば早いうちにした方がよいであろうといったことを伝えました。
 7月31日,火曜日。この日が伯母が帰国する日でした。朝のうちに家を出て,母を見舞い,そのまま空港に向いました。伯母と母が会ったのはこの日が最後になったわけです。
 僕は午後から見舞いに行きました。この日も僕が着いたときには眠っていて,少ししてから目覚め,ベッドを起こしたのはそれまでと同様です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

周防国府杯争奪戦&眠り

2018-11-09 19:03:22 | 競輪
 4日に行われた防府記念の決勝。並びは鈴木‐諸橋の新潟,三谷‐村上の近畿,清水‐松浦の中国で杉森と郡司と山田は単騎。
 前受けは三谷。3番手に鈴木,5番手に清水で7番手以降は山田,郡司,杉森で周回。残り3周のバックの出口から清水が上昇。ホームで三谷を叩いて誘導の後ろに。鈴木はこの動きに乗るような形で上昇。バックで清水を叩くと誘導を斬りました。山田は清水が動いたところで一緒に動いたので松浦の後ろ。鈴木の動きに乗った郡司が3番手,杉森が4番手となり引いた清水は5番手。打鐘から三谷が発進。鈴木が応戦して先行争いに。ホームから山田が単騎で動き,それに乗る形になったのが清水。山田に追いついた勢いでそのまま捲った清水が後ろを大きく引き離して優勝。諸橋の後ろから外に持ち出して捲った郡司が7車身差で2着。清水のスピードについていくことができなかった松浦が4分の3車身差で3着。
 優勝した山口の清水裕友選手は記念競輪初優勝。昨年はFⅠで5回の優勝。今年からビッグにも出場するようになった新鋭で,ビッグでも決勝に進出できるくらいまで力をつけていました。ここは三谷が鈴木と先行争いをし,郡司が内に詰まるような競走になった上に単騎で動いた山田を利することができた展開面が大きかったのは事実。それでもこれだけの着差をつけての優勝ですから,もう十分に記念競輪クラスでは優勝候補の一角を占める選手になったと考えていいでしょう。自らの1着に固執するのではなく,ラインが共倒れにならないようにするレースを心掛けている印象があり,たぶん今後もそういうレースを続けて行く方が,優勝回数を積み上げていくことに直結していくことになるのではないかと思います。

 伯母はこの日,夕食を摂った後でまた病院に母の見舞いに行きました。緩和病棟はいつでも面会が可能でしたから,そういうこともできたのです。日中も行っていたのですが,伯母は帰国する日が間近となっていましたので,少しでも長く母と一緒にいたかったのだろうと思います。
 7月27日,金曜日。この日は午後に見舞いに行きました。この見舞いの間に,Fさんが見舞いに来てくれました。Fさんは僕より先に帰りましたが,Fさんが帰った後で母は少し眠りました。この日は昼食の後で嘔吐してしまったため,吐き気止めの注射をしましたが,この注射が眠気を誘うのだと母は言っていました。
 嘔吐の原因が何であったかは定かではありません。ただ,もしかしたらこの頃から母の身体は,徐々に食物を受け入れるということを拒否し始めていたのかもしれません。また,注射と眠気の因果関係も,母が言った通りのものであったかも僕には分からないです。ごく単純にいえば人間は死期が迫れば眠っている時間が長くなるもので,そういう兆候であったかもしれないと僕には思えるからです。
 7月28日,土曜日。この日も午後に見舞いに行きました。この日は僕が病室に入ったときには母は眠っていましたが,少しすると目覚めました。その後でベッドを起こして話をしましたが,またベッドを倒すと眠ってしまいましたので,声を掛けて僕は帰りました。
 先述した通り,この日は妹のグループホームがある場所の近くで地区の盆踊りがあり,グループホームの居住者も参加することになっていました。妹もそれに参加したいとのことでしたから,前日は迎えには行かず,この週末をホームで過ごすようにしたのです。月曜にはそのときに着るための浴衣も持参しました。ところがこの日は台風が接近していましたので,この盆踊りは中止になっています。僕は見舞いのために家を出たときには天候でいえば曇り,つまり雨は降っていませんでした。再び眠った母がまた目を覚ますまで待たず,声を掛けて帰ってしまったのにはこういう理由もありました。僕が帰宅したのは午後4時50分だったのですが,それでもこの時点では暴風雨に近かったです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣賞典平和賞&返却

2018-11-08 19:31:02 | 地方競馬
 北海道から2頭が遠征してきた昨晩の第64回平和賞
 おそらく作戦だったのでしょう,外目から押していったヒカリオーソがハナを奪いきりました。2番手にはライズインザノースとマイティウォーリア。4番手以下はトーセンガーネット,サージュ,カジノフォンテンの順でここまでが先行集団。2馬身差でトーセンアイアンとハルディネロ。直後にリュウノボサノバ。ここからまた2馬身差でファーストメロディとスウォードクイン。3馬身差でカネトシテッキンとアギト。4馬身差の最後尾にスフォルツァートという隊列。前半の800mは49秒4の超ハイペース。
 向正面ではマイティウォーリアが単独の2番手に。3コーナーを回るとライズインザノースは後退して3番手にトーセンガーネット。ここで3番手と4番手以下との差が開き,直線の入口では外を回って追い上げたカジノフォンテンが4番手になりましたがそこまで。直線は前3頭の争い。直線に入ったところで一時的にヒカリオーソが2番手との差を広げましたが,マイティウォーリアとトーセンガーネットが並んで追い上げ,また差を詰めていきました。しかし一杯に粘ったヒカリオーソが優勝。マイティウォーリアは差したトーセンガーネットが4分の3馬身差で2着。マイティウォーリアがクビ差で3着。
 優勝したヒカリオーソはこれまで4戦1勝でここが南関東重賞初制覇。今年の北海道からの遠征馬は例年の水準にはないと思われたので,南関東生え抜きの馬が優勝するのではないかとみていました。その中でこの馬はチャンスがあるとみていた1頭。前走は千切られましたがそれは勝ち馬が別格のためで,この馬のタイムもそんなに悪いものではありませんでした。とはいえこの馬がこの戦績で勝ったということになると,このレースに出走していた馬たちがトップクラスで戦っていくのは少しばかり厳しいと判断してよいのではないでしょうか。父はNARグランプリで2006年の最優秀2歳馬,2007年の年度代表馬,2008年の年度代表馬,2009年の4歳以上最優秀馬,2010年の年度代表馬,2011年の年度代表馬,2012年の4歳以上最優秀牡馬に選出されたフリオーソ。母の父はサウスヴィグラス。祖母の7つ上の半姉に1995年に桜花賞トライアルの4歳牝馬特別を勝ったライデンリーダー
 騎乗した川崎の瀧川寿希也騎手は昨年のローレル賞以来の南関東重賞2勝目。管理している川崎の岩本洋調教師は南関東重賞3勝目で平和賞は初勝利。

 移動になった無料の病室に僕が入ったとき,父のきょうだいの次男の夫婦が母の見舞いに来てくれていました。前夜に電話で伝えたばかりでしたが,翌日にすぐ来てくれたのです。この日は母はベッドを起こし,外を眺めている時間が長かったです。
 7月26日,木曜日。レンタルしていた介護用のベッドを返却する日でしたので,午前中に見舞いに行きました。母の病室で昼食を摂り,業者が引き取りにくる最も早い時間であった午後3時に間に合うように帰宅しました。午後3時から午後5時の間に来るということでしたが,実際に来たのは午後3時50分ごろでした。20分ほどで作業は終了しました。レンタル料は銀行口座から引き落とすことになっていて,そういう契約書,すなわち引き落とすべき口座の番号は伝えてありましたが,このときに現金で支払ってもよいとのことでしたので,支払いをしました。
 このレンタルについては少し補足があります。母はケアマネージャーはつけていませんでしたが,介護認定は結果が出ていて,要介護1でした。これは9月30日までのものです。確か半年ごとだったと記憶していますから,認定が出た日付は3月30日だった筈です。実際に介護用ベッドをレンタルしたときに判定すれば,要介護の規準は上がっていたでしょう。一方,母が9月30日の時点で生きていることは考えにくかったので,母の判定は要介護1でそのままであるということは,ベッドをレンタルした時点で前提になっていました。
 この要介護の度合によって,レンタルするべきベッドというのは変わるのです。ですから,もし母の介護認定の度合が進んでしまうと,ベッドを借り換えなければならなくなっていました。母が借りたのはその規準に見合ったベッドであり,これ以外にどのようなベッドがあるのかは僕には分かりませんので,ほかとの比較はできませんが,少なくとも母が借りていた期間は,母は自力で動くことができる,単純にいえばひとりで寝返りを打つことができるのはもちろんトイレに行くこともできるという状態でしたから,背中や脚の部分を上下させることができるという機能がついているこのベッドで十分でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メルボルンカップ&病室の移動

2018-11-07 19:12:22 | 海外競馬
 オーストラリアのフレミントン競馬場で行われた昨日のメルボルンカップGⅠ芝3200m。
 チェスナットコートは発馬後にやや控え,中団後ろ寄りの内から2頭目という位置を追走。途中で15秒台というラップがあるくらいの超スローペースだったこともあり,競走を中止した1頭を除く23頭が一団でのレースでした。直線に入る手前でようやくペースアップ。ここで騎手の手が動き始めました。直線に入ったあたりで明らかな不利があって減速。そこから立て直して少しだけ外に出されると,伸びはあったものの優勝争いに加わるというほどではなく,勝ち馬から約16馬身差の14着でした。
 明らかに控える不利がありましたから,それがなければもう少し着順は上になっていたかもしれません。とはいえ勝ち馬との着差を考慮すれば,勝ち負けをするには力は足りなかったのではないかと思います。

 事前に伝えられていませんでしたが,僕は誤って他人の部屋に入ってしまうことはありませんでした。病室が有料から無料に変更になることは事前に分かっていたことなので,僕は見舞いのときにはいつでも病室の入口のネームプレートを見てから入室するようにしていたからです。この日はそれまでの部屋のプレートに母と別の名前がありました。よってそこで病室が移動になったと判断することができたのです。緩和病棟は病室の数も多いわけではありません。一つひとつの部屋のプレートを確認し,移動になった母の病室を探しあてることができました。こうしたことは受付で尋ねればすぐに分かるのでしょうが,基本的に僕は自分ですることができることについては他を頼らず,自分だけで解決したいタイプの人間なのです。
 移動した部屋というのは,入院したときに入ったところ,すなわち緩和病棟の入口ですが,そこからエレベーターで2階に上がってすぐのところでした。それまで入っていたのは逆に正面玄関からエレベーターないしはエスカレーターで2階に上がってきた場合に近いところです。すでに説明したように緩和病棟の入口と正面玄関は非常に遠く,その中間に緊急用の入口があるわけですが,これは等距離という意味での中間というわけではなく,どちらかといえば正面玄関に近く,ここから入った場合も正面玄関から入ったときと同じエレベーターないしエスカレーターを使用することになります。僕は正面玄関が開いているときはそこから,開いていないときは緊急用の入口から入っていましたので,移動になった病室は移動前の病室より少しだけではありますが遠くなりました。
 それからもうひとつ,無料の病室も有料の病室もベッドの横にテレビと冷蔵庫がある点は同じだったのですが,有料の部屋ではそれらが無料で使用できたのに対し,無料の部屋では有料でした。これはカードを差し込むとテレビも視聴でき冷蔵庫も動くというもので,一般の無料の病室にあるのと同じ方式です。母はこの時点ではテレビも視られましたし,ものを食べられたので冷蔵庫も使用していました。よってカードを買うのがこれ以降の僕の日課になりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産省賞典JBCレディスクラシック&死の前提

2018-11-06 18:57:20 | 中央競馬
 京都競馬場の1800mで4日に争われた第8回JBCレディスクラシック
 ビスカリアは加速が鈍く発馬後は遅れました。サルサディオーネが最も逃げたかったと思うのですが,最内のアイアンテーラーが譲らずにハナへ。2馬身ほどのリード。カワキタエンカ,サルサディオーネ,プリンシアコメータの順で続きました。この後ろは4馬身ほど開き,アンジュデジール,ラビットランの順。フォンターナリーリ,クイーンマンボ,ブランシェクールの3頭が併走。ここからは3馬身ほど開きジュエルクイーン,リエノテソーロの順。さらに2馬身ほど開きラインハートとアンデスクイーンの2頭。また2馬身開いてファッショニスタ。3馬身差でビスカリアとなり4馬身差の最後尾がディアマルコ。最初の800mは48秒0のハイペース。
 アイアンテーラーとサルサディオーネが並んで直線に。その外からアンジュデジールが抜き去るとこれを追ってきたのがラビットラン。その外からクイーンマンボで大外を後方待機のファッショニスタ。アンジュデジールとラビットランが激しく競り合い,後ろの2頭は届かず。差し返すような形になった内のアンジュデジールが優勝。ラビットランがアタマ差の2着。ファッショニスタが半馬身差の3着でやや伸びを欠いたクイーンマンボは半馬身差の4着。
 優勝したアンジュデジールマリーンカップ以来の勝利で大レースは初制覇。絶対能力ではクイーンマンボなのですが,今年に入って本調子を欠いていました。まだ立ち直っていなければ牝馬重賞路線で堅実な成績を残していたアンジュデジールはチャンスがある1頭で,このチャンスをものにしたという形。態勢的には不利だったのですが,それを跳ねのけた勝負根性が光った一戦であったと思います。父はディープインパクト。母の6つ下の半弟に昨年の川崎記念を勝っている現役のオールブラッシュ。Ange Desirはフランス語で天使の欲望。
 騎乗した横山典弘騎手は昨年のJBCスプリント以来の大レース制覇でJBCは全体で2勝目。管理している昆貢調教師は2013年の川崎記念以来の大レース9勝目。JBCは全体で初勝利。

 僕はすでに母は何があってもおかしくはない状況に入っていると判断していました。だからインスリンを常に携帯するようにしていたのです。母がどう感じていたかは定かではありません。ただ,母は父がそうであったように最後は緩和病棟で死にたいと考えていたのであって,実際にその緩和病棟に入院したのですから,死期が迫っているということは自分でも強く認識していただろうと思われます。このような状況になれば,死ぬということを前提として話をしなければならないことも多くなります。それは僕が感じたように確かに楽しいことではないでしょう。ただ,実際に経験した身からいえば,こうした楽しくない話はなるべく避けない方がいいと思います。僕と母の間でいえば,もしかしたらそれは少なすぎたのかもしれません。母の死後に困りそうなことについて,もう少し母自身の希望や判断を確認しておけばよかったと思うことも多々あります。
                                     
 それからこの日,母が緩和病棟に入院したことを,父のきょうだいのうち次男に伝えておいてほしいという依頼がありましたので,これは夜に電話をして伝えました。入院したときにKさんには伝えてありました。これは母自身の意向です。僕はKさんに伝えただけですが,Kさんに伝えるということはたとえばFさんにも伝わるということであり,つまり母の親しい友人たちには伝わったということです。この晩も僕はひとりの伯父に伝えただけですが,それは実際には父方の親族に伝わったということを意味します。
 7月25日,水曜日。伯父への連絡は前日の夜のうちに済ませましたが,介護ベッドの業者へのベッドの引き取りの依頼の電話はこの日にしました。これは躊躇があったからというわけではなく,時間的な都合です。前日は業者に電話をするにはもう遅いと思われる時刻になってからの帰宅でした。業者は翌日に片付けに来るとのことでした。時間帯が午後3時から5時の間と長くなっていましたので,その間は自宅に滞在している必要がありました。
 見舞いは午後からでした。この日に病室が有料部屋から無料部屋に移動になりました。この日の移動は事前には伝えられていませんでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産省賞典JBCクラシック&ベッドの処置

2018-11-05 18:53:02 | 中央競馬
 京都競馬場の1900mで争われた昨日の第18回JBCクラシック
 サンライズソアが逃げました。2番手はテーオーエナジー。少し控えたシュテルングランツがテイエムジンソクと並んで3番手。5番手がマイネルバサラで6番手にオールブラッシュとなりここまでが先行集団。2馬身差でセンチュリオン。また2馬身差でケイティブレイブ。アスカノロマンが続いてこの後ろはタガノゴールド,カツゲキキトキト,オメガパフュームの3頭。この直後にクリソライトがいてさらにサウンドトゥルーとアポロケンタッキー。4馬身ほど離れた最後尾にノンコノユメ。ミドルペースでした。
 サンライズソアとテイエムジンソクが並ぶ形で直線に。その外にはテイオーエナジー。コーナーで外を進出していたケイティブレイブは直線の入口では4番手。ここから直線でもじわじわと伸び,追っていた2頭を振り切ったサンライズソアを捕えて優勝。後方から外を伸びたオメガパフュームもサンライスソアを捕えて4分の3馬身差まで詰め寄り2着。サンライズソアは1馬身差で3着。離れた最後尾から大外を追いこんだノンコノユメが半馬身差まで迫って4着でした。
                                
 優勝したケイティブレイブは前哨戦の日本テレビ盃からの連勝。大レースは川崎記念以来の3勝目。ここではこの馬の能力が最上位。これまでの重賞勝利がいずれも地方競馬場のものであった点は一抹の不安でしたが,ここでそれを払拭する結果を残しました。ただ,この馬は現時点でのトップなのであって,歴代のトップクラスの馬ほどの能力はないようにも思えます。2着が3歳馬であったことを考えると,現3歳の世代がトップに立つのもそう遠くないような気がします。父はアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の12歳上の半兄に1999年に北海道スプリントカップ,2000年にガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年にガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ。7代母がマジックゴディスの3代母にあたります。
 騎乗した福永祐一騎手は日本ダービー以来の大レース30勝目。JBCクラシックは初勝利でJBC全体では2勝目。管理している杉山晴紀調教師は開業から2年で大レース初勝利。

 7月23日,月曜日。この日は伯母が友人と会うために横浜に出掛けました。家を出たのが午前8時20分です。僕はその後で妹を通所施設に送りました。午後は見舞いに。伯母は帰りも遅くなるとのことでした。伯母の来日後は母の入院前だけでなく,入院後もほとんどの家事をこなしてもらっていたのですが,この日は僕が僕ひとり分の夕食の支度をしました。
 7月24日,火曜日。この日は見舞いの最中に,入院した日に担当だった看護師,2階のエレベーターを降りたところから病室まで車椅子を押してくれた看護師ですが,この看護師に呼び出され,母のことについて何か心配なことはないかと尋ねられました。僕は母に対してのことで多くを望んではいません。ただ,痛みや苦しみを除去し,安らかに永遠の眠りに入ってくれればいいと思っていただけです。なのでこの点について努力をしてくれさえすればそれ以上のことは何も望んでいないと解答しました。
 母が在宅中に使用していた介護用のベッドはまだ家に置いてありました。もしかしたら母が帰ってくることがあるかもしれないと想定していたからです。実際に緩和病棟というのは一時的に帰宅することが可能な病棟でした。しかし一方で,ベッドを置いたままだと心配しなければならない点もありました。それはもしこのまま母が死んでしまった場合のことです。その場合には一時的にではあれ遺体で家に帰ってきてもらうつもりで僕はいました。その場合,家の中に遺体を安置しなければならないわけですが,その適切な部屋というのは介護用ベッドを置いてある部屋のほかにありません。そしてそのためにはベッドは邪魔になるのです。なのでこの処置に関してこの日に母に尋ねたところ,もう家に帰ることはできないだろうから返却していいとのことでした。
 僕は単にベッドの処置について尋ねただけです。しかし質問の背景には前述したような,母の死を前提としたことが含まれていました。なので質問するのも楽しくなかったのは事実です。一方の母も,僕の質問の背後には自身の死が前提されているということには気付いていたでしょうから,答えるのも楽しくなかったろうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産省賞典JBCスプリント&判断の理由

2018-11-04 19:06:29 | 中央競馬
 京都競馬場の1200mで争われた第18回JBCスプリント
 やや押してマテラスカイがハナへ。この後ろは集団になりましたが,グレイスフルリープとウインムートが2列目で,3列目にノブワイルド,ラブバレット,ナックビーナスに。ネロとセイウンコウセイがその後ろ。キタサンミカヅキ,テーオーヘリオス,ニシケンモノノフの3頭が続き,レッツゴードンキとモーニンがその後ろ。キングズガード,アンサンブルライフ,ノボバカラの3頭が後方集団という隊列。前半の600mは33秒7の超ハイペース。
 直線に入るところでマテラスカイが2番手集団との差を広げました。追い掛けることができたのはずっと内を回ってきたグレイスフルリープだけ。徐々に差が詰まっていき,フィニッシュ目前でついにグレイスフルリープがマテラスカイを差し切って優勝。マテラスカイがクビ差で2着。馬場の中央から追い込んだキタサンミカヅキが2馬身半差の3着。
 優勝したグレイスフルリープ東京スプリント以来の勝利。重賞は4勝目で大レースは初勝利。実績は今日のメンバーの中では上位の方だったのですが,いかにも重賞クラスという印象で,大レースを勝つまでの能力はないのではないかと思い,個人的には軽視していました。それは完全に誤った判断であったことになります。内を回ってくることができたという利があったとはいえ,このペースにある程度はついていった上で差し切ったのですから,高めの評価が必要です。少なくともマックスの能力は,2着馬はともかく差してきた3着以下の馬よりはずっと上位と考えなければならないでしょう。父はゴールドアリュール
                                     
 騎乗したクリストフ・ルメール騎手は天皇賞(秋)に続き4週連続の大レース制覇。JBCは全体を通して初勝利。管理している橋口慎介調教師は開業から2年8ヶ月で大レース初勝利。

 僕はこのように,選択の判断を他に委ねるということを,部分的には推奨します。全面的にではなく部分的にであるのは,たとえばある選択が善bonumであることが確実であるならそれを選択するのが賢明であり,逆にある選択が悪malumであるのが確実であるという場合にはそれを避けるのが賢明であるからです。しかしそれ以外の場合,すなわちどの選択が善でありあるいは悪であるかを確実に判断することができない場合には,むしろ自分自身ではそれを選択しないのが賢明であると僕は考えるのです。
 たとえば第三部諸感情の定義二七の後悔は,自分自身で選択することによって発生する悲しみtristitiaです。この感情affectusは第四部定理五四備考では害悪より利益を齎すといわれていますが,それは人間が理性ratioに従わない限りにおいてです。むしろ理性に従うなら,いい換えれば自由の人homo liberからみれば,第四部定理五四にあるように後悔をする人間は二重の意味で不幸でありまた無能impotentiaです。そこでもし決断を他に委ねてしまえば,後悔という感情を回避することができるでしょう。ただしここで注意しなければならないのは,他人の決意とみなすことができるような事柄に委ねてはならないということです。これは結局のところ後悔を感じない代わりにその他人に対する憎しみodiumを感じることになるからです。選択を他に委ねるのは単に後悔を避けるためというより,悲しみを避けるためです。第三部諸感情の七にあるように憎しみも悲しみなので,これも避けなければなりません。
 一方で,無用の喜びlaetitiaも避ける必要があります。これはたとえば第三部諸感情の定義二八の高慢superbiaは喜びではあるけれど,第三部定理二六備考が示すように狂気の一種であるから避けなければならないというような意味です。高慢の定義Definitioから分かるように,僕たちはある喜びの原因が自分自身にあると表象するimaginari場合には高慢を感じる場合があり得ますが,他にあると表象するなら感じることは絶対にありません。したがって判断を他に委ねてしまえば,少なくともそのことについて高慢になるということは絶対にないのです。ここから分かるように判断を他に委ねることは,高慢になることを絶対的に回避する方法のひとつなのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホッサムハンデキャップ&選択の判断

2018-11-03 18:51:17 | 海外競馬
 オーストラリアのフレミントン競馬場で争われたホッサムハンデキャップ(レクサスステークス)GⅢ芝2500m。
 ソールインパクトは最内枠からの発馬。押していき逃げることを選択。2番手の馬に2馬身ほどの差を取り,隊列も縦長でしたが,残り1000mまで12秒台後半のラップを続けるようなスローペースの競馬でした。3コーナーを回ってから2番手の馬と雁行になりましたが,先頭で直線に。すぐに騎手の手が動き,残り300m付近までは先頭争いに加わりましたが,そこからはずるずると後退。最下位での入線になりました。
 レースの内容でいうと,ラップは自分で刻んだのだけれどもペースアップにまったく対応できなかったという形。この馬が逃げなければさらにペースが落ちた可能性があり,やはりペースアップしたところで脱落という結果になった可能性が高いと推測されます。ということは逃げの手に出たのは悪くない判断だったのではないかと思うのですが,どうせならもっと早いラップで逃げてしまった方が,持ち味はよく生かすことができたのかもしれません。

 7月22日,日曜日。この日は伯母が午前中にひとりで見舞いに行き,僕は妹と午後から見舞いに行きました。
 妹は29日に,グループホームがある地区の盆踊りがあり,これにグループホームの利用者が参加するため,この週末は家に帰らず,グループホームで過ごす予定になっていました。したがって次に家に帰ってくるのは8月3日の予定になっていました。前日の段階で僕は母はもういつ何があってもおかしくないという状況に入ったと判断していましたので,もしかしたら妹と母が会うのはこの日で最後になってしまうかもしれないと思っていました。帰り際に妹は母に対して「また会いましょう」と言ったのですが,もしかしたら妹も何か感じるところがあったかもしれません。
 父も緩和ケア病棟に入院していました。最後は血圧が低下しているので病院に来て下さいという電話が入り,その日のうちに死にました。特別養護老人ホームに入所していた祖母も,同じように血圧低下の電話が入り,その日のうちに死にました。これらの経験から,僕は母も同じように,血圧が低下したという連絡が入るだろうと予想していました。父も祖母も母も,大腸癌という点では同じ病気を患っていたからです。
 その電話が入ったとき,妹が家にいれば妹と一緒に病院に行き,妹が通所施設なりグループホームなりにいるなら妹には連絡をせず,僕がひとりで病院に行く心積もりでいました。これは妹を母の死に目に会わせるのか会わせないのかということについて,明確な結論を出していないことになります。そのときの状況によって病院に行かれるか行かれないかが異なるからです。そしてこのような決定の仕方は,僕が一般に物事を決断する場合のひとつの特徴だと考えて下さい。いい換えれば,会わせてもいいし会わせなくてもいいというような,どの選択肢でも構わないということについての選択に関しては,自分では決定せず,何かほかのことに判断を委ねます。この場合でいえば,もし母が妹に会いたいなら妹が家にいるときに危篤状態になるだろうし,妹には自分の死に目を見せたくないなら,そうでないときに危篤になるだろうと思うようにするのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農林水産大臣賞典道新スポーツ杯北海道2歳優駿&見舞いと迎え

2018-11-02 19:15:05 | 地方競馬
 昨晩の第45回北海道2歳優駿
 ウィンターフェルが発馬直後に躓きましたが大事には至らずすぐに立て直しました。先手を奪ったのはイグナシオドーロ。2番手にマイコートとリンノレジェンド。4番手がトイガー,5番手がサクセッサー,6番手がウィンターフェルでここまで一団。2馬身ほど離れた中団にスズカユース,イッキトウセン,イルジオーネの3頭。5馬身離れた後方集団はテイエムアカリオー,ミヤケ,ホワイトヘッドの3頭。さらに2馬身離れてロビュストが最後尾という隊列。超ハイペースだったのではないかと思います。
 3コーナーを回るとイグナシオドーロの外にリンノレジェンドが並び掛けていきマイコートは後退。リンノレジェンドの外からウィンターフェルが追い上げ,その後ろは内にイッキトウセンとトイガー。直線の手前でリンノレジェンドは苦しくなり,ウィンターフェルが2番手に上がってイグナシオドーロに並ぶとここからフィニッシュまで2頭の競り合い。抜きつ抜かれつの争いが延々と続いてフィニッシュ。優勝は外のウィンターフェルでイグナシオドーロがハナ差の2着で確定になりました。しかしこれは誤審で,実際に先着していたのはイグナシオドーロだったと発表されています。後方から追い上げてきたミヤケが5馬身差で3着。
 確定した着順は,禁止薬物などの規則違反があった場合か、走行妨害を受けた陣営からのアピールがない限り変更されないルールになっています。今回はどちらにも該当しないので,実際には2位で入線した1着馬が優勝馬として記録に残ることになると思われます。
 優勝したとされているウィンターフェルはここが4勝目で重賞初制覇。このレースはJRA勢に500万で実績を残した馬も新馬を勝った馬も不在で例年に比べるときわめて手薄。それならウィナーズチャレンジ5とサンライズカップで上位争いをした北海道の馬たちがここも上位を争うだろうと見立てていて,その通りの結果。3着馬はこれが初ダートのJRA馬で,それに対して決定的な差をつけた2頭の能力レベルはこの着差の通りと判断していいでしょう。ただ相手のレベルが低かったゆえの大きな差ともいえますから,ダートで確たる実績を残している馬たちとどこまで戦えるのかはまだ分からないといえます。父は2010年にラジオNIKKEI杯2歳ステークス,2013年にアメリカジョッキークラブカップを勝ったダノンバラードでその父はディープインパクト。馬名の英語表記はWin Tafelで,Tafelは人名。
 2019年2月28日に,競走成績は正しい着順に基づいて決定するとの発表がありました。よって優勝はイグナシオドーロ。母の父は2000年にアンタレスステークス,2001年にアンタレスステークス,2002年に平安ステークス,2003年に平安ステークスとマーチステークスを勝ったスマートボーイ。母の8つ上の半兄に2003年にサラブレッドチャレンジカップを勝ったタマモリッチ
 騎乗した北海道の阿部龍騎手は2017年のエーデルワイス賞以来となる重賞2勝目。管理している北海道の角川秀樹調教師も2017年のエーデルワイス賞以来の重賞制覇で重賞9勝目。第36回,42回に続き3年ぶりの北海道2歳優駿3勝目。

 午前中に母の見舞いに行き,院内のコンビニエンスストアで適当な昼食を買い,病室で昼食を摂ってから妹の迎えに行く算段で,これはその通りにしました。通所施設の場所には,病院から行く場合にも家から行くのと同様に,上大岡を経由することになります。というか通所施設は僕の家より病院からの方が遠いので,バスだけで行くなら必然的にそうなります。みなと赤十字病院から上大岡駅には直通のバスがあります。なのでできればそれに乗っていきたいと思っていました。ただこのバスは1時間に1本の運行で,上大岡駅に到着する時間が中途半端でした。つまりすごく早くなってしまうか,そうでなければ遅れてしまうかのどちらかだったのです。なのでこの経路は断念せざるを得ませんでした。よってみなと赤十字病院から根岸駅に戻り,そこから上大岡行きのバスに乗り換えるという経路で迎えに行きました。母が緩和病棟に入っている間に僕は何度か妹の迎えに行っていますが,この日に限らず,いつでもこの経路を利用しました。
 7月21日,土曜日。19日に根岸駅前にサイゼリヤがオープンしました。伯母と妹はこのサイゼリヤで昼食を摂り,それから母の見舞いに行きました。僕はその後でひとりで見舞いに行きました。伯母と妹はまだ残っていました。伯母が先にひとりで帰り,妹は僕と帰りました。僕たちが帰宅したのが午後5時でした。
                                     
 母はまだ自分の口でものを食べていたものの,ほんの数日前の入院前と比べてもその量は著しく減少していました。また,血中の酸素濃度が薄かったために酸素吸入をしていたのですが,それでも呼吸が苦しいと訴えることがありました。僕はこの日に,もういつ何があってもおかしくはないという状態に突入したのではないかと思いました。なので僕はこの日以降,といってもこの日は別なので22日以降ということになりますが,どこかに出掛けるときには,たとえ早く帰ることができる予定の場合であっても,常にインスリンを携帯するようにしました。たとえば出先で連絡が入っても,そのまま帰宅せずに病院に直行することができるようにし,かつ病院である程度の日時の滞在を可能にするためです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京スポーツ盃マイルグランプリ&面会受付

2018-11-01 19:13:36 | 地方競馬
 昨晩の第25回マイルグランプリ
 鞭を入れてニシノラピートがハナへ。2番手にバンドオンザランが上がり3番手をゴーディーとキャプテンキングで併走。5番手がオメガヴェンデッタ。6番手はリッカルドとモンドアルジェンテ。8番手にヒガシウィルウィンとアルマワイオリ。10番手がクリスタルシルバー,トロヴァオ,ディアデルレイ。13番手以下はトーセンハルカゼ,ムサシキングオー,サブノジュニア,バルダッサーレの順。それぞれの間隔があまりなく,16頭が一団での競馬。前半の800mは49秒0でミドルペースに近いハイペース。
 3コーナーで2番手がキャプテンキングとなりバンドオンザランは後退。キャプテンキングの外からリッカルドが追い上げを開始し,これをマークするようにクリスタルシルバーとヒガシウィルウィンも追撃。直線ではニシノラピート,キャプテンキング,リッカルドの3頭のすぐ外からクリスタルシルバーが伸び,コーナーでは外を回っていたヒガシウィルウィンがそのまま外から追撃。しかしコーナーワークで得た利をクリスタルシルバーが守りきって優勝。ヒガシウィルウィンが半馬身差で2着。3頭の争いからキャプテンキングは脱落し,リッカルドがニシノラピートを競り落としたところを外から差したトロヴァオが2馬身半差で3着。リッカルドは1馬身差で4着。
 優勝したクリスタルシルバーは南関東重賞初制覇。昨年の8月に2戦目を勝つと続く準重賞も連勝。この成績からクラシック路線を戦いましたが入着はあっても勝つまでは至らず。ただ大レースでも約2馬身差の4着に入ったほどで,能力が高いのは間違いありませんでした。このレースはリッカルドとヒガシウィルウィンの一騎打ちムードで,僕はローテーションの面から崩れるとすればリッカルドと考えていました。ですから2頭の間に入ることはあり得ると思っていましたが,勝つまでは予想できなかったです。枠順によるコース取りの差があったのは事実ですが,古馬初対戦でこのメンバーを相手に勝ったのは称えなければならないでしょう。今年の3歳馬は総じて能力のレベルが高い可能性があるので,今後も3歳馬には注目していきたいところです。父はエアグルーヴの三番目の産駒のサムライハート。
 騎乗した名古屋の岡部誠騎手報知オールスターカップ以来の南関東重賞4勝目。マイルグランプリは初勝利。管理している大井の村上頼章調教師は開業から20年半で南関東重賞初勝利。

 早い時間に母の見舞いに行ったのは,その後で妹を迎えに行かなければならなかったからです。消化器内科の病棟の場合,平日は午後3時以降でなければ面会が不可能でしたから,迎えと重なる日は行くことができませんでした。しかし緩和病棟は1日中いつでも面会可能なので,迎えと重なってもその前に行くことができるのです。
 みなと赤十字病院では面会する場合は面会するという旨を受付に届け出ることになっています。通常は正面玄関の入口を入ったところに受付があり,そこで受け付けます。しかし土曜や休日,あるいは平日でも朝早くや夜遅くは通院の患者がいませんので,正面玄関は閉まっています。この場合は救急用の入口付近の玄関から病院に出入りをします。ここにも受付があり,面会する旨を届け出ることになっています。しかし緩和病棟だけは別で,緩和病棟のナースステーションの近くにフロントがあり,そこで受け付けることになっています。正面玄関が開いている場合は面会を届け出る受付を素通りしても何も不思議ではありません。通院患者とかその付き添いは素通りすることになるからです。なので正面玄関が開いている時間帯は事実上は受付をしなくても面会はできます。ただ,受付をしますと面会用のバッジを貸与されるので,面会中にそのバッジがないことで不審に思われる可能性はあるでしょう。これに対して緊急時の入口は入口自体が狭い上に入ってすぐのところに必ず警備員らしき人が立っていますので,受付をしないで面会することは不可能です。そしてこの受付をするときには,名前と人数だけでなく,何階のどこの科の病棟に行くのかを記入しなければなりません。たとえば7階A病棟という具合にです。しかし緩和病棟は緩和病棟で緩和病棟の入院患者の面会だけを受け付けるのですから,名前と人数を記入するだけで大丈夫です。したがってこの日のように正面玄関が開いている時間帯は,1階の受付は素通りして緩和病棟に直行します。一方,閉まっているときは緊急用の入口から入ることになりますが,この場合はそこにいる人に,緩和病棟に行きますと告げます。そうすればここでは何も記入せずに通してくれます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする