スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝日新聞社杯競輪祭&帰宅

2018-11-26 19:25:40 | 競輪
 小倉競輪場で行われた昨晩の第60回競輪祭の決勝。並びは平原‐諸橋の関東,脇本‐柴崎‐浅井の近畿中部,太田‐香川の四国で菅田と清水は単騎。
 号砲後,だれも出ていかないのを見て浅井がスタートを取り,同じタイミングで前を取りにいった脇本を迎え入れて前受け。4番手に平原,6番手に菅田,7番手に太田,最後尾に清水で周回。
 太田が動いていったのは残り3周のバックの出口から。残り2周のホームでようやく脇本を抑えにいきましたが,脇本は誘導を抜いて突っ張りました。清水が太田に続かず,菅田の後ろにスイッチしたので,7番手が清水,引かされた太田が8番手となって打鐘。この一列棒状のままバックに。ここから平原が発進。スピードは悪くありませんでしたが,柴崎が渾身のブロック。最終コーナーで内が開いたので浅井が脇本の後ろに。そのまま踏んだ浅井が逃げる脇本を差して優勝。逃げ粘った脇本が4分の1車輪差で2着。バックの出口から自力で動いた清水が外から二人目のところを伸びて1車身差の3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は前回出場の豊橋記念から連続優勝。ビッグは昨年のKEIRINグランプリ以来の6勝目。GⅠは2011年のオールスター競輪以来の3勝目で競輪祭は初優勝。このレースは決勝進出の選手が決まった段階で,清水と太田が結束すれば脇本に対抗できるかもしれないと思ったのですが,別ラインを選択。その段階で脇本の優位は動かないように思えました。太田が動くのがいかにも遅すぎたために,脇本が突っ張り先行のレースに。柴崎の仕事が大きかったですし,脇本も2周に近い先行ではありましたが,現状の脇本の力量を考えれば,それを差した浅井も素晴らしいのではないかと思います。

 諸々の連絡を入れているうちに,午前10時近くになっていました。霊柩車が迎えにくるまでにはまだ時間がありましたので,1階のコンビニエンスストアまで買い物に行き,家族控室で妹とふたりで朝食を摂りました。
 予定の時刻に霊柩車が到着したという連絡が入りましたので,病院の関係者にそれを伝えすでに死化粧を終えた母の遺体をエレベーターで1階まで降ろしてもらいました。このエレベーターは母が緩和病棟に入院したときに使用したもので,したがって霊柩車は緩和病棟の専用の入口の近く,入院したときにタクシーを停めてもらった場所まで来ていました。僕が心配していたのは,母の遺体のほかに霊柩車に何人が乗れるのかということでした。父が死んだときには僕だけが霊柩車に乗って帰ったのですが,もしもひとりしか乗れないということであれば,まさか妹をひとりで帰すわけにはいきませんし,妹を葬儀社の方に任せるのもどうかと思えましたので,だれも同乗はせず,妹とふたりでタクシーで帰るつもりでした。そこでこのことを尋ねたところ,霊柩車にはふたりは乗れるということでしたので,妹と一緒に霊柩車で帰りました。
 家に着いたのは午前11時半でした。この時点で,父のきょうだいの次男の夫婦と葬儀社の方が家の前に到着していて,僕たちの帰りを待っていました。まず介護用のベッドを片付けた部屋に布団を敷き,そこに母の遺体を寝かせました。このとき,顔に白い布を被せられた母の姿を見て,ようやく妹も母が死んだということを理解することができたようです。そこにいた全員で線香を立てました。
 この後,葬儀社の方と諸々の段取りを決定しました。これは納棺および通夜と葬儀の場所と日程,そのときにどういう食事を出し,どういったお返しをするのか,また,そのときに使用する写真をどれにするのかとか,祭壇をどう飾るのかなどといった,これら一連の儀式に関係するすべてのことです。
 これらが決定したところで葬儀社の方は帰り,伯父夫婦が買って持ってきてくれていたおにぎりやサンドイッチなどで4人で昼食としました。これが午後1時半ごろで,伯父夫婦はその後で帰宅しました。
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