⑭-2の第1図は先手玉には詰みはなく,後手玉は詰めろになっています。先手は歩で攻めていて,持ち駒にもまだ歩が豊富にありますから,後手は受けて手を伸ばしているだけでは状況は改善するどころか悪化します。つまりここは後手の方に手段が求められているのですが,そういう手段はありました。
☖4八飛成と王手をして☗5八金☖5七銀☗同龍☖同龍☗同金と先手の龍を盤上から消しておいてから☖4四歩と取るのがそれです。
先手は手番を得たので☗6三飛と王手を掛けました。☖4三桂の合駒に☗5四銀と迫り☖5二金には☗4三銀成☖同金に☗5五桂と打ちます。後手はここで☖5三金打と受けました。先手は4三の地点を攻めるほかありませんから☗4三桂成の一手です。
後手が☖5三金打と打ったところで☖5二金であったらこの局面は☖同金しかありません。ですが5三に打っておいたので第2図は☖同玉も可能な指し手になっています。
喜びlaetitiaあるいは善bonumを希求し悲しみtristitiaないしは悪malumを忌避するというのは,人間の現実的本性actualis essentiaですから,このこと自体は人間の力potentiaが及ばない事柄についてのみ生じやすいというわけではありません。むしろ人間の力,自分の力としてであれ他人の力としてであれ,人間の力のうちにある事柄についても同じように生じるのであり,より生じやすいといえるかもしれません。
このようにして経営者は自身の経営方針によって最高の利益を生み出すのだと思いやすくなります。政治家は自分の政策によって国家Imperiumや共同体が最高に繫栄するのだと思いやすくなります。宗教家はその宗教religioによって幸福が得られるのだと思いやすくなります。科学者は科学的見地に基づいた知見が人間の利便性を高めるのだと思いやすくなります。こうしたことは逆の場合にもいい得ます。すなわち社員は経営者は会社の利益を高めて,それによって自身の利益も上昇すると思いやすくなります。被統治者あるいは一般市民は政治家の政策が自分の不利益になることはないと思いやすくなります。信者は宗教家を信じることで幸福になれるのだと思いやすくなります。そして科学的知見に基づいた結論は,科学的知識がなくても正しいのだと思いやすくなるのです。
このような関係は,ともすれば第四部定理五七でいわれている高慢な人間と追従の徒の関係に陥ってしまいます。それを避けるためには,自身とは異なった知見や見解opinioを有する人を排除しないことが有益であるということはそれ自体で明らかです。あるいは理性ratioはそのように教えるでしょう。ところが人間の現実的本性は,理性に従うことよりも高慢な人間と阿諛追従の徒を生み出しやすくなっているのです。これは端的にいえば,理性がそれ自体では感情affectusを抑制することができないからなのです。
ここから分かるように,単に悲しみをそれと相反する喜びによって排除することは,結果的には大なる悪を招く可能性を高めます。第四部定理四系から分かるように,ひとりの人間の理性の力は限りがあります。それでも理性に従う方が,物事には適切に対処することができるのです。
この考察はこれで終了します。また日記に戻りましょう。
☖4八飛成と王手をして☗5八金☖5七銀☗同龍☖同龍☗同金と先手の龍を盤上から消しておいてから☖4四歩と取るのがそれです。
先手は手番を得たので☗6三飛と王手を掛けました。☖4三桂の合駒に☗5四銀と迫り☖5二金には☗4三銀成☖同金に☗5五桂と打ちます。後手はここで☖5三金打と受けました。先手は4三の地点を攻めるほかありませんから☗4三桂成の一手です。
後手が☖5三金打と打ったところで☖5二金であったらこの局面は☖同金しかありません。ですが5三に打っておいたので第2図は☖同玉も可能な指し手になっています。
喜びlaetitiaあるいは善bonumを希求し悲しみtristitiaないしは悪malumを忌避するというのは,人間の現実的本性actualis essentiaですから,このこと自体は人間の力potentiaが及ばない事柄についてのみ生じやすいというわけではありません。むしろ人間の力,自分の力としてであれ他人の力としてであれ,人間の力のうちにある事柄についても同じように生じるのであり,より生じやすいといえるかもしれません。
このようにして経営者は自身の経営方針によって最高の利益を生み出すのだと思いやすくなります。政治家は自分の政策によって国家Imperiumや共同体が最高に繫栄するのだと思いやすくなります。宗教家はその宗教religioによって幸福が得られるのだと思いやすくなります。科学者は科学的見地に基づいた知見が人間の利便性を高めるのだと思いやすくなります。こうしたことは逆の場合にもいい得ます。すなわち社員は経営者は会社の利益を高めて,それによって自身の利益も上昇すると思いやすくなります。被統治者あるいは一般市民は政治家の政策が自分の不利益になることはないと思いやすくなります。信者は宗教家を信じることで幸福になれるのだと思いやすくなります。そして科学的知見に基づいた結論は,科学的知識がなくても正しいのだと思いやすくなるのです。
このような関係は,ともすれば第四部定理五七でいわれている高慢な人間と追従の徒の関係に陥ってしまいます。それを避けるためには,自身とは異なった知見や見解opinioを有する人を排除しないことが有益であるということはそれ自体で明らかです。あるいは理性ratioはそのように教えるでしょう。ところが人間の現実的本性は,理性に従うことよりも高慢な人間と阿諛追従の徒を生み出しやすくなっているのです。これは端的にいえば,理性がそれ自体では感情affectusを抑制することができないからなのです。
ここから分かるように,単に悲しみをそれと相反する喜びによって排除することは,結果的には大なる悪を招く可能性を高めます。第四部定理四系から分かるように,ひとりの人間の理性の力は限りがあります。それでも理性に従う方が,物事には適切に対処することができるのです。
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