スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

行人&尊敬の理由

2017-02-16 19:27:11 | 歌・小説
 『それから』のときにいった,コキュとはいえないけれど寝盗られ願望があったかもしれないと解せるのは『行人』の主人公である一郎です。ただこの小説は僕には難解なので,先にその大枠を僕がどのように理解しているかを説明します。
                                   
 小説の主題となっているのは,知性を代表する知識人と非知性すなわち情念を代表する大衆の軋轢であると僕はみています。こうした軋轢はいつの時代にも存在します。スピノザが『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』の序文で注意していることはそれでしょう。聖書ないしは神に服従obedientia,obsequium,obtemperantiaして敬虔pietasになるのでも理性ratioに従って敬虔になるのでもどちらでも構わないと主張したのは,スピノザにとってその軋轢を解消する方法であったといえます。また現代においても,2016年は非知性が猛威を振るった一年であったといってそうも間違っていないでしょう。ですから小説の主題としては,凡庸だといえなくもありません。ただ『行人』にはふたつほど際立った特徴があります。
 ひとつはこの軋轢が家庭内で生じる点です。すなわち知性を代表する知識人の一郎が,情念的な家族との生活の中で疲弊していくという仕方で物語が展開していくことです。テクストそのものは一郎に対して共感的あるいは同情的な視点から記述されているといえますが,実際にそこで語られているのは知性の側の誤謬であり失敗であると僕はみます。つまりスピノザが示したような軋轢の解消法を,一郎は発見することができなかったのです。
 この,発見できなかったということがもうひとつの特徴を構成しているというのが僕の見方です。一郎は知識人であり,非知性の側に歩み寄ることはできません。したがってこの軋轢は何ら解消されぬまま物語も終焉します。つまり最初に提示されているような問題が何も解決されないまま物語が終るのです。それはその軋轢は普遍的なもので,時代を超越して無際限indefinitumに続くということを暗示しているといえますが,最初から最後まで一郎と家族の間の関係性に変化がみられないというのは,ひとつの小説としてみればやはり大きな特徴だといえるのではないでしょうか。

 スぺイクが好感を抱き,おそらく尊敬していたであろうスピノザの人間性は,一言でいえばスピノザが敬虔pietasであったということに尽きます。先述したコンスタンティンConstantijin Huygensの場合もこれは同様で,コンスタンティンはスピノザが敬虔な人間であること,そういう生活を送っていることをよく知っていたのです。ですからカルヴァン派の牧師たちがスピノザのことを無神論者と非難することを否定することができたのでしょう。
 オーステンスを介して交わされたフェルトホイゼンLambert van Velthuysenとの間の書簡四十二と書簡四十三から理解できるように,信仰fidesをもたない人間は生活の上で無神論者に陥り,敬虔であることはできないというのがこの時代の一般的な認識でした。スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』においてその認識が誤りであることを示しました。そして事実,信仰をもたないけれども敬虔であるという人間,すなわちスピノザが現実的に存在するということをコンスタンティンは知っていたのだというのが,僕がいっていることの意味になります。
 スピノザとスぺイクは5年半にもわたってひとつ屋根の下で暮らしたのです。ですからコンスタンティンが知ったように,スピノザが敬虔であるということをスぺイクが知ったとして何ら不思議ではありません。そしてその敬虔さに尊敬の念を抱くことがあったとしてもやはり不思議ではないでしょう。実際にスぺイクの証言を基に構成されたコレルスJohannes Colerusの伝記には,スぺイクと共に過ごした時代のスピノザがいかに敬虔な人物であったのかということが多く記述されています。当然ながらそれはスぺイクがそうしたことを多くコレルスに語ったからです。後に述べる理由から,僕はスぺイクの証言のすべてが信用に値するとは考えません。ですがそのすべてが創作であったとはそれ以上に考えられないことです。そしてスぺイクがそうしたことを多くコレルスに対して証言した理由は,いかにスピノザが敬虔な人物であったかを伝えたかったからであり,伝えたかったのはスピノザのその部分をスぺイクが高く評価していたからだと思います。スぺイクに取材したセバスティアン・コルトホルトにも,スぺイクはそれらのことを伝えたことでしょう。
コメント
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