第31回東京プリンセス賞。グラッブユアダイヤは右の後ろ脚の怪我で出走取消となって12頭。
アップトゥユーがすんなりとハナへ。向正面に入るあたりで2馬身ほどのリードに。2番手にはピンクドッグウッド。また2馬身差でイントゥゾーンが続き,以下,アンジュジョリー,グラスサファイヤ,ステップオブダンスという順に残りのすべての馬が集団を形成。逃げ馬と2番手,2番手と3番手の差も3コーナーにかけて詰まっていったので,およそ8馬身くらいの中に全部の馬が収まることになりました。最初の800mは52秒0の超スローペース。
3コーナーを回るとアップトゥユーがスパート。ピンクドッグウッド,イントゥゾーン,グラスサファイヤの3頭が雁行で追いました。直線に入るとピンクドッグウッドがまず脱落。その内を突いて上がってきたのがアンジュジョリーで,次に脱落したグラスサファイヤの外から追ってきたのがステップオブダンス。さらにその外からガロもこの争いに加わることに。ピンクドッグウッドの前に出てからイントゥゾーンのすぐ横まで外目に持ち出されたアンジュジョリーがそこから一気に伸び,フィニッシュ直前で逃げ粘るアップトゥユーを差し切って優勝。アタマ差の2着にアップトゥユー。こちらもフィニッシュ直前でイントゥゾーンを差したステップオブダンスが1馬身半差で3着。イントゥゾーンはアタマ差の4着。
優勝したアンジュジョリーは北海道デビュー。昨年11月に浦和に転入すると連勝。その後は南関東重賞ばかりを使って3着,6着,5着,6着と結果が出ていませんでしたが,前走の船橋でのオープンは勝ってここに参戦。これまでの結果から勝つというシーンまでは想定していませんでした。距離が伸びてスローペースでの瞬発力勝負になったのが味方したのではないかと推測します。ずっと内を回って直線の半ばで外に持ち出した騎乗も勝利に大きく貢献したのではないでしょうか。母の父はアグネスタキオン。Ange Joliはフランス語でかわいい天使。
騎乗した大井の笹川翼騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞4勝目。東京プリンセス賞は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師も東京プリンセス賞は初勝利。
第二部定理一〇系は,人間の本性essentiaが神Deusの属性attributumの様態的変状modificatioで構成されていると書かれています。この様態的変状modificatioという語句は,様態的変状に様態化するmodificatum est modificationeといういわれ方をします。たとえば第一部定理二二がそれに該当します。岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,様態的変状に様態化するというのは様態modusに変状するというのと同じ意味であるとしています。ですが僕はこのふたつのいい回しは,事態としては同じことを指示しているにしても,ニュアンスには違いがあると考えているということをかつて説明しました。端的にいえばそれは,様態に変状するといわれるなら,それは変状した様態に主眼が置かれているのに対し,様態的変状に様態化したといわれる場合には,様態化した神ないしは神の属性に主眼が置かれているということでした。このニュアンスの相違は,僕が何を自己の認識cognitioとみなし,何を神の認識とみなすのかということの峻別を説明するのに役立つと思います。
もし現実的に存在する人間が自分の精神mensについて,それは神の属性が変状した様態であると認識するcognoscereなら,それは自己の認識であろうと僕は判断します。しかし同じように自分の精神について,それは思惟の属性Cogitationis attributumが様態的変状に様態化したものであると認識したなら,この認識は自己の認識というより神の認識であると僕は判断します。これは前者の場合には,思惟の属性が変状した現実的に存在する自分の精神という様態を認識しているのに対し,後者は,現実的に存在する自分の精神という様態的変状に様態化した神の属性を認識していると解せるからです。
第二部定理一〇系とか第二部定理一一系で一般的にいわれていることを,自分の精神について個別的なものとして第三種の認識cognitio tertii generisで認識するとき,自分の精神が永遠aeterunusであるという認識が出てくるのだと僕は考えています。そしてこの認識は,思惟の属性が変状した自分の精神についての認識ではなく,自分の精神という様態的変状に様態化した思惟の属性の認識であると僕はみます。このゆえにこの第三種の認識は,自分の精神という現実的に存在する個物res singularisの認識ではなく,思惟の属性によって説明される神の認識であると解するのです。
アップトゥユーがすんなりとハナへ。向正面に入るあたりで2馬身ほどのリードに。2番手にはピンクドッグウッド。また2馬身差でイントゥゾーンが続き,以下,アンジュジョリー,グラスサファイヤ,ステップオブダンスという順に残りのすべての馬が集団を形成。逃げ馬と2番手,2番手と3番手の差も3コーナーにかけて詰まっていったので,およそ8馬身くらいの中に全部の馬が収まることになりました。最初の800mは52秒0の超スローペース。
3コーナーを回るとアップトゥユーがスパート。ピンクドッグウッド,イントゥゾーン,グラスサファイヤの3頭が雁行で追いました。直線に入るとピンクドッグウッドがまず脱落。その内を突いて上がってきたのがアンジュジョリーで,次に脱落したグラスサファイヤの外から追ってきたのがステップオブダンス。さらにその外からガロもこの争いに加わることに。ピンクドッグウッドの前に出てからイントゥゾーンのすぐ横まで外目に持ち出されたアンジュジョリーがそこから一気に伸び,フィニッシュ直前で逃げ粘るアップトゥユーを差し切って優勝。アタマ差の2着にアップトゥユー。こちらもフィニッシュ直前でイントゥゾーンを差したステップオブダンスが1馬身半差で3着。イントゥゾーンはアタマ差の4着。
優勝したアンジュジョリーは北海道デビュー。昨年11月に浦和に転入すると連勝。その後は南関東重賞ばかりを使って3着,6着,5着,6着と結果が出ていませんでしたが,前走の船橋でのオープンは勝ってここに参戦。これまでの結果から勝つというシーンまでは想定していませんでした。距離が伸びてスローペースでの瞬発力勝負になったのが味方したのではないかと推測します。ずっと内を回って直線の半ばで外に持ち出した騎乗も勝利に大きく貢献したのではないでしょうか。母の父はアグネスタキオン。Ange Joliはフランス語でかわいい天使。
騎乗した大井の笹川翼騎手はハイセイコー記念以来の南関東重賞4勝目。東京プリンセス賞は初勝利。管理している浦和の小久保智調教師も東京プリンセス賞は初勝利。
第二部定理一〇系は,人間の本性essentiaが神Deusの属性attributumの様態的変状modificatioで構成されていると書かれています。この様態的変状modificatioという語句は,様態的変状に様態化するmodificatum est modificationeといういわれ方をします。たとえば第一部定理二二がそれに該当します。岩波文庫版の訳者である畠中尚志は,様態的変状に様態化するというのは様態modusに変状するというのと同じ意味であるとしています。ですが僕はこのふたつのいい回しは,事態としては同じことを指示しているにしても,ニュアンスには違いがあると考えているということをかつて説明しました。端的にいえばそれは,様態に変状するといわれるなら,それは変状した様態に主眼が置かれているのに対し,様態的変状に様態化したといわれる場合には,様態化した神ないしは神の属性に主眼が置かれているということでした。このニュアンスの相違は,僕が何を自己の認識cognitioとみなし,何を神の認識とみなすのかということの峻別を説明するのに役立つと思います。
もし現実的に存在する人間が自分の精神mensについて,それは神の属性が変状した様態であると認識するcognoscereなら,それは自己の認識であろうと僕は判断します。しかし同じように自分の精神について,それは思惟の属性Cogitationis attributumが様態的変状に様態化したものであると認識したなら,この認識は自己の認識というより神の認識であると僕は判断します。これは前者の場合には,思惟の属性が変状した現実的に存在する自分の精神という様態を認識しているのに対し,後者は,現実的に存在する自分の精神という様態的変状に様態化した神の属性を認識していると解せるからです。
第二部定理一〇系とか第二部定理一一系で一般的にいわれていることを,自分の精神について個別的なものとして第三種の認識cognitio tertii generisで認識するとき,自分の精神が永遠aeterunusであるという認識が出てくるのだと僕は考えています。そしてこの認識は,思惟の属性が変状した自分の精神についての認識ではなく,自分の精神という様態的変状に様態化した思惟の属性の認識であると僕はみます。このゆえにこの第三種の認識は,自分の精神という現実的に存在する個物res singularisの認識ではなく,思惟の属性によって説明される神の認識であると解するのです。