昨晩の第9回川崎マイラーズ。
タマモホルンが簡単に先手を奪いました。トロヴァオ,オウマタイムの順で追う形で1周目のスタンド前を通過。向正面に入ると隊列がばらけ始め,位置取りも変わりました。タマモホルンの逃げを1馬身差でトロヴァオが追い,その後ろに3馬身くらいの間隔ができてサクラレグナムとオウマタイムの2頭。さらにリアライズリンクス,プリンセスバリュー,ジャーニーマンの3頭が続き,タイムズアローとセイスコーピオンの2頭。ここから大きく差が開いてフェスティヴイェル,ジャルディーノ,ポイントプラス。あとの2頭はここからも大きく離れての追走。最初の800mが48秒8の超ハイペース。
タマモホルンは3コーナーを回ると一杯。すぐ後ろで追走していたトロヴァオが先頭に。サクラレグナム,プリンセスバリュー,ジャーニーマン,タイムズアローの4頭が雁行のような形で追っていきましたが,これらは直線で力尽きました。この雁行した馬たちの後ろでインを回っていたリアライズリンクスが直線でサクラレグナムの内から1頭分だけ外に持ち出されると1頭だけトロヴァオを追い,直線で捕えて優勝。内容的には強い競馬だったトロヴァオが1馬身差で2着。後方から大外を回って追い上げたポイントプラスが2馬身差の3着で同様に後方から内目を回って伸びてきたジャルディーノがクビ差の4着。
優勝したリアライズリンクスはサンタアニタトロフィー以来の勝利で南関東重賞3勝目。能力の上限は高いので,このくらいのメンバーでのレースでは常に優勝候補なのですが,レースでその能力を十全に発揮することが少ないという馬。馬券的な面では人気が下がったときが狙い目というタイプです。このレースはトロヴァオが強気にレースを進め,早めに追ってきた馬たちを疲れさせました。深追いせずにそれらが一杯になってから前を追うことができたのが勝利の要因になったものと思います。父は2000年のシンザン記念とスプリングステークスと鳴尾記念,2001年の京都金杯,2002年の京都金杯を勝ったダイタクリーヴァでその父がフジキセキ。母の父はマイネルラヴ。
騎乗した大井の的場文男騎手はフジノウェーブ記念以来の南関東重賞制覇。第3回以来6年ぶりの川崎マイラーズ2勝目。これが地方競馬通算7000勝目。ですが僕は騎手の勝利数をこのように限定的に表示することには疑問を禁じ得ないです。管理している浦和の小久保智調教師は第6回以来3年ぶりの川崎マイラーズ2勝目でした。
6月23日,木曜日。月曜日に報告を受けた作業所の閉鎖に関する説明会が,午前10時から施設であり,母が出掛けました。新しい作業所がまだこの時点では未完成でした。なので7月からそちらに通うことはできません。というか,これはいくつかの作業所を運営している施設の統合整理による変更です。つまり新作業所には別の作業所からも人員が集まってきます。そうした作業所は今年の3月まで運営することになっていましたから,妹が通っていた作業所の人だけが移動しても何かできるわけではありません。そうした事情もあり,7月から今年の3月までは,施設へ通うということになり,施設で行っていた作業に加わるということになりました。なお,これは職員の不足の影響であったわけですが,妹が通っていた作業所だけが休止になることが決定したのは,この作業所が施設から最も近いところに立地していたからだと思います。どちらも僕がいう本牧にあり,僕の家からみると作業所より施設の方がやや遠く,新作業所はそれよりさらに遠いところ,これは僕の地理感覚では本牧ではなく小港にあります。僕は週に2日くらいは本牧に出掛けていますが,これは位置としていえば作業所と施設の中間にあるところ。新作業所は施設と,僕が通院しているみなと赤十字病院の中間にあたります。急な変更ですと通うことに問題が生じる可能性がありますが,妹が行っていた作業所に通えるのであれば,施設に通うのは何ら問題はありません。たぶんこの作業所の閉鎖が先行したのはこういう理由からだったと思います。説明会自体は午前中で終ったようで,母はほかの保護者と昼食を摂って帰りました。僕はこの日は長者町に出掛けていました。
6月25日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は前夜に先生から電話があり,午後3時開始になっています。
6月30日,木曜日。保護者会があって母が出掛けました。この日はそれだけでなく,商品製作のボランティア活動もあったようです。僕はこの日は屏風浦に出掛けていました。
7月1日,金曜日。この日から妹は施設の方へ通うことになりました。妹は陶芸の作業に加わりました。
タマモホルンが簡単に先手を奪いました。トロヴァオ,オウマタイムの順で追う形で1周目のスタンド前を通過。向正面に入ると隊列がばらけ始め,位置取りも変わりました。タマモホルンの逃げを1馬身差でトロヴァオが追い,その後ろに3馬身くらいの間隔ができてサクラレグナムとオウマタイムの2頭。さらにリアライズリンクス,プリンセスバリュー,ジャーニーマンの3頭が続き,タイムズアローとセイスコーピオンの2頭。ここから大きく差が開いてフェスティヴイェル,ジャルディーノ,ポイントプラス。あとの2頭はここからも大きく離れての追走。最初の800mが48秒8の超ハイペース。
タマモホルンは3コーナーを回ると一杯。すぐ後ろで追走していたトロヴァオが先頭に。サクラレグナム,プリンセスバリュー,ジャーニーマン,タイムズアローの4頭が雁行のような形で追っていきましたが,これらは直線で力尽きました。この雁行した馬たちの後ろでインを回っていたリアライズリンクスが直線でサクラレグナムの内から1頭分だけ外に持ち出されると1頭だけトロヴァオを追い,直線で捕えて優勝。内容的には強い競馬だったトロヴァオが1馬身差で2着。後方から大外を回って追い上げたポイントプラスが2馬身差の3着で同様に後方から内目を回って伸びてきたジャルディーノがクビ差の4着。
優勝したリアライズリンクスはサンタアニタトロフィー以来の勝利で南関東重賞3勝目。能力の上限は高いので,このくらいのメンバーでのレースでは常に優勝候補なのですが,レースでその能力を十全に発揮することが少ないという馬。馬券的な面では人気が下がったときが狙い目というタイプです。このレースはトロヴァオが強気にレースを進め,早めに追ってきた馬たちを疲れさせました。深追いせずにそれらが一杯になってから前を追うことができたのが勝利の要因になったものと思います。父は2000年のシンザン記念とスプリングステークスと鳴尾記念,2001年の京都金杯,2002年の京都金杯を勝ったダイタクリーヴァでその父がフジキセキ。母の父はマイネルラヴ。
騎乗した大井の的場文男騎手はフジノウェーブ記念以来の南関東重賞制覇。第3回以来6年ぶりの川崎マイラーズ2勝目。これが地方競馬通算7000勝目。ですが僕は騎手の勝利数をこのように限定的に表示することには疑問を禁じ得ないです。管理している浦和の小久保智調教師は第6回以来3年ぶりの川崎マイラーズ2勝目でした。
6月23日,木曜日。月曜日に報告を受けた作業所の閉鎖に関する説明会が,午前10時から施設であり,母が出掛けました。新しい作業所がまだこの時点では未完成でした。なので7月からそちらに通うことはできません。というか,これはいくつかの作業所を運営している施設の統合整理による変更です。つまり新作業所には別の作業所からも人員が集まってきます。そうした作業所は今年の3月まで運営することになっていましたから,妹が通っていた作業所の人だけが移動しても何かできるわけではありません。そうした事情もあり,7月から今年の3月までは,施設へ通うということになり,施設で行っていた作業に加わるということになりました。なお,これは職員の不足の影響であったわけですが,妹が通っていた作業所だけが休止になることが決定したのは,この作業所が施設から最も近いところに立地していたからだと思います。どちらも僕がいう本牧にあり,僕の家からみると作業所より施設の方がやや遠く,新作業所はそれよりさらに遠いところ,これは僕の地理感覚では本牧ではなく小港にあります。僕は週に2日くらいは本牧に出掛けていますが,これは位置としていえば作業所と施設の中間にあるところ。新作業所は施設と,僕が通院しているみなと赤十字病院の中間にあたります。急な変更ですと通うことに問題が生じる可能性がありますが,妹が行っていた作業所に通えるのであれば,施設に通うのは何ら問題はありません。たぶんこの作業所の閉鎖が先行したのはこういう理由からだったと思います。説明会自体は午前中で終ったようで,母はほかの保護者と昼食を摂って帰りました。僕はこの日は長者町に出掛けていました。
6月25日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は前夜に先生から電話があり,午後3時開始になっています。
6月30日,木曜日。保護者会があって母が出掛けました。この日はそれだけでなく,商品製作のボランティア活動もあったようです。僕はこの日は屏風浦に出掛けていました。
7月1日,金曜日。この日から妹は施設の方へ通うことになりました。妹は陶芸の作業に加わりました。