スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

罪と罰&別の観点

2007-08-27 20:47:03 | 歌・小説
 『賭博者』はギャンブルをやる人にはお勧めで、僕もそうですから楽しめましたが、ドストエフスキーの小説で何が最も面白いかといわれれば、僕は読んだものの中では(当り前ですが)迷わずに『罪と罰』を推します。
             
 これは『カラマーゾフの兄弟』の登場人物でいえば,イワンにあたるような理知的な主人公であるラスコーリニコフが,その理知性のゆえに殺人を犯し,自分では予期しなかった罪の意識に苛まれ,そこから快復していく物語。長編ではありますが,新潮文庫版で上・下巻ですので,『カラマーゾフの兄弟』ほどは長くありません。また主要な登場人物の数も『カラマーゾフの兄弟』ほど多くはありませんので,読みやすいのではないかと思います。
 最も印象に残っているのは,ラスコーリニコフが最初に自分の犯した罪を娼婦であるソーニャに告白したとき,ソーニャがラスコーリニコフに対して言ったこのことば。「いますぐ外へ行って,十字路に立ち,ひざまずいて,あなたがけがした大地に接吻しなさい,それから世界中の人々に対して,四方に向っておじぎをして,大声で《わたしが殺しました!》というのです」。
 この部分は職場に向う途中の朝の電車の中で読んだのですが,この日はこの強烈なことばに打ちのめされ,仕事が手につかないような感じでした。

 明日はいわき平記念の決勝です。並びは菊地-山崎-佐藤の北日本に村本,矢口-神山-小橋の関東,村上-荒井の西日本で変則3分戦。うまく先行争いを誘えれば西の遠征勢ですが,番手がどちらも動けるタイプですから難しいかもしれません。

 ある事物にとって,その本性と実在性というのが,別の観点からみた同じもののふたつの側面であるということは,実は,ある事物とほかの事物の間では,完全性perfectioにおいては一切の優越性が否定されるということ,すなわち一方が他方に対してより完全であるということはあり得ないということから,帰納的にも説明することができるのではないかと僕は考えています。
 たとえば,人間が三角形に対して,より完全であるということができないのは,人間の完全性とは人間の実在性realitasのことであり,三角形の完全性とは三角形の実在性のことであって,各々の実在性が異なる分だけ各々の完全性が異なるということになり,人間の完全性によって三角形の完全性についてそれを測ることはできないということを理由としています。そしてその同じ理由によって,三角形が人間よりも完全であるということもまたできないということになるわけです。
 このとき,人間の実在性と三角形の実在性の相違は,ちょうど人間の本性essentiaと三角形の本性の相違に対応すると考えることができます。第二部定義二により,どんな事物の本性もその事物の存在existentiaを定立するということは明らかで,その限りにおいて,どんな事物の本性にも優劣はつけられないことになります。そしてこれがちょうど,どんな事物の完全性の間にも優劣がつけられないことに対応していると僕は思うのです。よってこのことからも,事物の本性と事物の実在性(完全性)というのが,同一の事柄の異なった側面であるということが導き出せると僕は考えます。
コメント
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