スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

朝倉の反論&サマリー

2014-09-20 19:20:24 | 哲学
 「「エチカ」第一部のふたつの因果性がめざすもの」に対して朝倉友海が『概念と個別性』で示している反論の概要は,以下のようなものです。
                         
 朝倉は,佐藤が間接無限様態は個物であるというとき,その解釈は正鵠を得ているといっています。しかし一方で,それはある条件の下においてであるということも強調します。それは,res particularisの個別性は,無限様態modus infinitusによって示されるのではなく,有限様態によって示されるのだということです。つまり佐藤のように解釈してしまうと,有限様態の有限性には重点を置かないということにならざるを得ないのです。
 この不備を解消するために,ふたつの個物を分類するという手法を朝倉は採用します。つまりres singularisを有限様態として,そしてres particularisを様態一般,いい換えれば有限様態と同時に無限様態も含む概念notioとして理解するわけです。佐藤はふたつの個物を区分していません。つまり朝倉の反論は,実際には反論というよりも,佐藤の不徹底を正したものだといえます。要するに間接無限様態は個物であるといっても,それはres particularisなのであって,res singularisではないということです。
 ただ,佐藤は二種類の因果性を議論の中心に据えているのに対し,朝倉は事物の個別性を議論の中心に据えようとしているので,朝倉が佐藤に対する異議は小さいものではないといったとしても,それが佐藤の解釈そのものを否定し得るようには僕は思わないです。反論として有効であるのは,あくまでも朝倉の議論を中心に据えた場合に限定されるかもしれません。
 さらにいうと,僕は実際には佐藤が間接無限様態を個物であると主張しているようには考えられませんでした。むしろそれは,個物が間接無限様態であるという論旨を展開しているように理解できるものです。つまりそもそも佐藤は間接無限様態を個物であると実質的に主張しているといえるのかどうかについて,朝倉の反論には検討の余地が残されているように思えます。

 すべてが終了したので会計を残すのみですが,ひとつ気になる点がありました。計測器から抜き出した血糖値のデータの記録を,この日ももらっていなかったのです。
 僕は結果は自己管理ノートに記録しています。このデータは,それさえあれば,調べることが可能な内容です。ですから僕としては,絶対に入手しておかなければならないという類のものではありません。つまりほしいという気持ちはありませんでした。ただ,この日と同じようにまた後で連絡が入り,受け取らなければならないということになるのは面倒に感じました。なのでこのときは,それを入手していないということを,会計の担当者に伝えました。その方が内分泌科と連絡を取り,必要ならば内分泌科に取りに行くように指示してくれました。先述したように,必要であるかないかといったら,不要ではあったのですが,ここまで申し出ておいてやっぱりいらないというのも変ですから,取りに行きました。診察室へと続く通路から,技師だか看護師だかが出てきて,用紙を僕にくれました。
 この一連のやり取りから,いくらかのことが推測できました。たぶん前回は,記録を抜き出す担当者が,抜き出した記録をそのまま放置してしまったのです。後でそのことに気付いたために,僕の自宅に電話を入れて,受け取るように促したのです。この日はおそらくそれとは事情が異なり,抜き出した用紙はK先生に渡したのだと思われます。実際それまで僕は,この結果は,診察のときに検査詳細情報と一緒に,U先生から渡されていたのです。でもこの日は,検査詳細情報はK先生から受け取っていましたが,血糖値のデータ,これをサマリーということにしますが,サマリーの方はもらっていませんでした。つまりこの日はK先生が僕に渡すのを忘れたものと思われます。
 今から考えればつまらないことに時間を使ってしまったという感じが残りますが,とりあえずこれでやるべきことはすべて終了。いつものように薬局に寄りました。前回時のことがありましたから,おくすり手帳を持っていきましたが,この日は提示を求められるということはなく,もらったシールを自分で貼っています。
コメント
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