スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

夏目漱石&原因と結果

2009-06-12 19:04:17 | 歌・小説
 僕がなぜ『漱石,もう一つの宇宙』を読んだのかを説明しましょう。といっても答えは簡単,僕は夏目漱石の小説を好んで読むので,夏目漱石に関連するような書物にもかなり多く手を出しているというだけのことです。以前にドストエフスキーについて書いたとき,僕は例外的にふたりの小説家については現在でも読むといいましたけれど,ドストエフスキーともうひとりは夏目漱石だったということです。
            
 僕が本格的に読書をするようになったのは高校生になってから。ドストエフスキーも夏目漱石もその初期のうちに読みました。ドストエフスキーに関しては,何年かのブランクはありましたが,夏目漱石についてはそれもなく,その頃から現在まで,一貫して僕が好きな作家のひとりであり続けています。
 『賭博者』について書いたときに,ドストエフスキーの小説は心理小説であり,僕はそこの部分に魅力を感じるといいました。実は夏目漱石に関しても僕にとって最大の魅力はその部分。なのでそういう部分があまり表れないような『草枕』のようなものはあまり僕の好みではありません。しかしそうした作品というのはごくわずかであって,やはりドストエフスキーと同様に,夏目漱石もはずれというのが非常に少ない作家だと思います。
 それから夏目漱石は小説のほかに,文学評論なども残しています。そうしたものも僕は読んでいます。もしかしたらむしろそうしたものの方が,高校から大学時代の僕自身の人格形成という面では大きな影響があったのではないかという気がしています。

 結論から申し上げますが,実際のところをいえば,この別の弊害である口の中の渇きは,マスクを着用したことが原因であったわけではなかったのです。つまり,本当はこれはマスク着用の弊害ではありませんでした。ただ,その当時の僕が,そのように思い込んでしまったというだけのことです。しかし,なぜこのような思い込みが僕に生じたのか,あるいはもっと一般的にいうなら,なぜこのような過ちを人間が犯すのかということについては,スピノザの哲学との関連で詳しく説明することができます。
 第一部公理三,および第一部公理四でスピノザが示していることは,ある一定の原因causaが与えられれば必然的にnecessario何らかの結果effectusが生じるということ,そして逆に何の原因もないならば,一切の結果は生じないということ,そしてそのゆえに,結果を正しく認識するcognoscereためには原因の正しい認識cognitioが不可欠であって,逆に原因さえ正しく認識できるならば,必然的に結果も正しく認識することができるということです。とくにこの最後のところは,第二部定理四〇で証明されていることでもあり,このこととは別の文脈ではありましたがかつて念入りに考察しました。
 このことから,スピノザは思考の方法論としては,原因から結果を導く演繹法にのみ重きをおき,結果から原因を導こうとするような帰納法に関してはこれを排除します。たとえば第一部定理二八とか,これを個物res singularisの観念ideaに適用した第二部定理九には,そこで直接的に示されていることと同時に,ある消極的意味が含まれているのですが,これは帰納法の排除の一例であるといえるでしょう。
 ところが僕たちは,よくこの帰納法的思考というのをするのです。というか,せざるを得ないのです。そしてそれには,はっきりとした理由があると僕は考えています。
コメント
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