スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

鳳凰賞典レース&2016年5月の通院

2017-01-07 19:06:06 | 競輪
 被災地支援競輪として行われた立川記念の決勝。並びは石井‐小埜の千葉,深谷‐吉田の愛知,北津留‐岩津の西国で新田と平原と稲垣は単騎。
 岩津がスタートを取って北津留の前受け。3番手に石井,5番手に平原,6番手に稲垣,7番手に深谷,最後尾に新田で周回。残り3周のバックを出たところから深谷が動き始めると,直前にいた稲垣が先に前に出て,ホームの出口では北津留に並び掛け,誘導の後ろが併走に。稲垣を追っていた深谷がバックに入ってから発進。誘導も交わして前に出たところで打鐘。うまく稲垣が3番手を確保し,北津留はその後ろ。愛知ラインを追っていたのは石井で,こちらも動いて稲垣の外の3番手で併走。小埜の後ろに平原と新田が続きました。石井はホームから動いていきましたが深谷に合わせられ,コーナーでは浮いてしまい脱落。小埜は浮きませんでしたが,バックに入ったところで岩津がうまく小埜の後ろの平原を牽制したので,平原は動けず岩津の後ろに入りました。バックの出口の手前から稲垣が発進するも車は前に出ず。しかしコーナーから直線と深谷が内を開けて走行したために,稲垣の後ろにいた北津留がそこを突き,直線でも内から深谷を交わして優勝。マークの岩津も1車輪差の2着に続いて西国ラインのワンツー。岩津を追った平原が半車身差で3着。
 優勝した福岡の北津留翼選手は11月の防府記念以来の記念競輪優勝で通算4勝目。立川記念は初優勝。このレースはラインが細分化した上に,グランプリに出走した選手も多く,そうした選手にどこまで余力が残されているかという問題もあったので非常に難解。石井は近況から苦しいかと思っていましたが,グランプリを走った単騎の選手よりは,ラインのある深谷と吉田が有利かなと見立てていました。見立て自体はそう間違っていなかったと思いますが,優勝はもうひとつのラインから出ることに。結果的にいうと前を取ったのがいい作戦で,バックで岩津が平原を弾いた仕事ぶりも光りました。インが開いたのは幸運だったと思うのですが,あるいは深谷はきっと内を開けて走るだろうという確信があったのかもしれません。防府記念を優勝した後もわりと安定した成績を残していますので,今後の注目選手のひとりだと思います。

 5月30日,月曜日。内分泌科の通院の日でした。
 病院に着いたのが12時40分ごろ。中央検査室の採血は僕が次という順番になっていましたので,注射針の処理だけ済ませ,採血した後で採尿しました。この日も診察の予約は午後3時でしたから外食へ。
 K先生が退職されましたから,この日から主治医がまた新しくなります。こういうことはもう何度も経験していて,概してこういう場合は予約時間から大幅に遅れて診察が始まっていました。主治医の変更というのは僕にだけ該当するわけでなく,おそらくここに通院しているすべての患者にとって同じでしょうから,初顔合わせの挨拶などもあって,普段よりは診察時間が長くなるからだと思われます。だからこの日もそうだろうと思っていたのですが,意外にも3時5分過ぎには僕の名前が呼ばれました。
 この日から主治医になったのはH先生で,40代前半と思われる男性医師です。診察に使うのはK先生も使うことがあった4番の部屋で,この部屋での診察は一貫しています。そしてH先生は患者を呼び込むのに放送だけを用います。受付の横に電光掲示板があって,そこの番号が点灯することで自分の順番になったということをこれまでは知っていたわけですが,H先生はこの掲示板は使いません。
 HbA1cは7.3%でした。そしてこの日はこれ以外には異常はありませんでした。
 H先生は,7.3%という数値は,Ⅰ型糖尿病としては必ずしも好ましいとはいえない面があって,もう少し高くてもよいという意味のことを言いました。低血糖を発症すると,合併症を発症するリスクはむしろ高まるからで,もしも低血糖があってこれくらいの数値になっているのなら,もう少し高くても構わないというのが話の全体の主旨でした。基本的に血糖値が80㎎/㎗を下回らないようにすることを目標として,その結果としてHbA1cの値が高くなるのは問題視しないということになり,また,低血糖の発症を防ぐために,インスリンの注射量については,僕に任せるということでした。この日以降も,基本的にH先生は注射の量に関しては,僕の方で柔軟に対応することを求めます。
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