スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王将戦&スピノザの生涯

2017-01-09 19:43:36 | 将棋
 掛川城二の丸茶室で指された第66期王将戦七番勝負第一局。対戦成績は郷田真隆王将が25勝,久保利明九段が19勝。
 掛川市長による振駒で郷田王将の先手と決まり,久保九段のごきげん中飛車。①-Bに進み,先手が早めに5筋を交換させて▲6五角と打つ将棋。そのまま攻勢をとった先手が飛車銀交換の駒損の代償に5三にと金を作る展開に進めました。
                                     
 先手が飛車を打ち込んだ局面。ここから△4一飛▲同飛成△同金▲6一飛と進みました。
 この局面は後手が△5一飛と打つと千日手になりそうなところ。自分から仕掛けて千日手は先手にとっては不本意ですから,先手の仕掛けはよくなかったということでいいのではないかと思います。
 後手は千日手を回避して△4四角と打ちました。後手としては千日手も悪くない選択の筈ですから,この局面は自身が有利であると後手は判断していたことになるでしょう。
 ▲4一飛成△9九角成は当然の進展。そこで▲5二龍△7二香としてから△8八銀と受けました。この交換は入れてもすぐに2二の金を取れるわけではない分,攻めることだけを考えれば味を消してしまう意味もあります。駒を使わせなければ受けきれないので止むを得ないという判断の下の指し手であったと思われます。
 △9八飛▲7九金打はどちらもこの一手。そこで後手は△9五角と打ちました。
                                     
 この手が好手で後手の攻めは繋がっているようです。切れなければ現状の後手玉は安全ですから,そのまま勝ちになりました。
 久保九段が先勝。第二局は23日と24日です。

 妹の宿泊訓練があった6月9日に,僕は1冊の本を読了しています。フロイデンタールJacob Freudenthalの『スピノザの生涯』です。これはスピノザの伝記です。
                                     
 フロイデンタールはスピノザ没後250年に合わせて,スピノザの伝記と教説すなわち哲学解説の二部構成の書物の出版を企てました。そのうち第一部となる伝記は1904年に出版されました。フロイデンタールによる序文の日付は1903年12月です。
 第二部の教説はフロイデンタールの生前には完成しませんでした。しかし未完の原稿が膨大に残っていたので,それらの資料がゲプハルトCarl Gebhardtの手に委ねられ,1927年に出版されました。そのときにゲプハルトはフロイデンタールが生前に出版していた伝記の部分にも新しい研究の成果として訳注を加えて,第二版として出版しています。日本語版は『スピノザ哲学研究』などの著書がある工藤喜作の訳で1982年に発行されていますが,訳の底本とされているのは,ゲプハルトによって手が加えられた第二版の方です。第二版というのはフロイデンタールが発行を目論んでいた書物の全体で,これは『スピノザ・生涯と教説』という題名で,日本語版の『スピノザの生涯』はその第一部の訳出になります。
 フロイデンタールはこの伝記を出版する前に,『スピノザの生涯と歴史』という四部構成の資料集も出版しています。その一部が訳出されているのが『スピノザの生涯と精神』です。リュカスJean Maximilien Lucasの伝記とかコレルスJohannes Colerusの伝記というのは広く知られていたわけではなく,これを世に広く知らしめたのはフロイデンタールの功績であったといっていいでしょう。
 一方,第二版の発行に尽力したゲプハルトは,この時代のスピノザ研究の第一人者です。岩波文庫版の『エチカ』の底本は,ゲプハルトが編集したものです。したがって,スピノザのまとまった伝記としては,資料としての価値が非常に高いものです。もちろん,フロイデンタールが最初に書いたときからは1世紀以上が経過しているので,その後の研究で覆されている部分も含まれます。しかし現代の伝記,たとえば『ある哲学者の人生Spinoza, A Life』なども,多くの事柄の参考としてこの著書を示しています。
 
コメント
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