スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王位戦&同一個体

2014-08-06 19:54:23 | 将棋
 札幌で指された第55期王位戦七番勝負第三局。羽生善治王位の先手で角換り相腰掛銀の将棋。最終的に持将棋となりましたので,中盤の攻防を一部だけ紹介しておきます。
                         
 2六にいた馬が2七に進み,先手が3八の飛車を1八に逃げた後,後手が3六の歩を取った局面。ここで☗4六歩△同馬としてから☗3三歩と打ちました。部分的にはただで歩を捨てたようなものですからおそろしく損ですが,4五の桂馬が動いた後,6三に歩が成れなくなるのを防いだ手という解説で,おそらくそのような意図の指し手であったのでしょう。後手は☖4三金左と逃げました。
                         
 これは並べていたときに声が出てしまったくらい驚いた手で,僕には思いつきません。対して☗5三桂成と捨てたのもびっくりした一手ですが,こちらは☖同金寄に☗7一角という実戦の進行から,攻め筋としてはあり得るように思いました。後手は☖6四馬。
                         
 これは馬が4六にいたから成立した手。ですから第1図で単に☗3三歩と打っていたならば,実戦とはまったく異なった進行になっていたと推測されます。このあたりは中盤の指し手およびその組合せの難しさを感じさせられた一局でした。
 1勝1敗のまま20日と21日の第四局に。この第四局が第三局の指し直し局になるということなので,第四局と第五局は共に木村一基八段の先手番になるものと思われます。
 追記です。第三局は持将棋で完結するのだそうです。ですので第四局は木村八段,第五局は羽生王位の先手となるのでしょう(6日午後11時前)。

 ここで,同一個体というのがどういう意味であるかを改めて確認しておきましょう。というのも,観念の複合の無限連鎖を,ここではAという物体corpusとその観念ideaが同一個体であるということを根拠として導いているからです。
 同一個体の間にある関係を,最も明瞭に示しているのは,第二部定理一三であると思われます。この定理Propositioでは,ある人間の精神を構成する観念idea, humanam Mentem constitutensの観念対象が,その人間の身体であるということが示されています。このとき,人間の身体とその人間の精神は,同一個体であるといわれるのです。このことは一般化して記述できます。ある観念とその観念の対象ideatumが同一個体であるということです。
 これを条件に,思惟Cogitatio以外の属性attributumの個物res singularisを抽出し,これをAと措定します。このときにAとAの観念というのは同一個体であることになります。次に,ideatumというのは必ずしも思惟以外の様態であるとは限りません。思惟の様態cogitandi modiである場合もあるわけです。現在の例でいえば,Aと同一個体であるとされているAの観念もまた,ideatumとなり得る思惟の属性のres singularisであるといえます。もちろんAの観念をideatumとした観念ですから,これはAの観念の観念idea ideaeであるということになります。そしてこのとき,Aの観念とAの観念の観念は同一個体です。後で詳しく分析しますが,第二部定理二一備考に示されている事柄から,スピノザがこれを認めることは確実であると考えられます。
 このとき,AとAの観念の観念は同一個体なのでしょうか。現時点での僕の考えをいえば,第二部定理七はそのように解釈することを許容しません。同一個体は平行論が成立するときに構築されます。第二部定理七が示しているのは,思惟の属性とその思惟の属性がideatumとしている属性の間に平行関係があるということだけで,それ以上は何も述べていないからです。
 ただし,AとAの観念は同一個体なので秩序ordoと連結connexioが一致します。Aの観念とAの観念の観念の間でも同様です。AとAの観念の観念の秩序と連結の一致は,僕は否定しません。
コメント
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