スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

ハイセイコー記念&ステノの説得

2015-10-15 19:36:02 | 地方競馬
 昨晩の第48回ハイセイコー記念
 押してラクテがハナへ。外に並び掛けていったのがフォクスホール。2馬身ほど開いてグランユニヴェールが単独の3番手。3馬身ほど開いて内にトロヴァオ,外のワールドプリンスの併走。前半の800mは48秒9のハイペース。
 3コーナーを回ってワールドプリンスが苦しくなった以外,隊列にほとんど変化がないまま直線に。ラクテに比べるとフォクスホールの手応えが圧倒的によく見えたのですが,追い出して外によれたこともあり,なかなか先頭に出られず。この間にグランユニヴェールが追い付いてきて,さらに直線だけこの3頭の外に出されたトロヴァオも伸び,4頭の競馬。追走が楽だったトロヴァオに最も余裕があったようで,最後は抜け出しての優勝。グランユニヴェールも内の2頭は差して1馬身4分の1差で2着。人気薄でしたが前々走でみせた本来の能力を発揮したフォクスホールが1馬身差の3着。
                     
 優勝したトロヴァオはこれが北海道からの転入初戦。北海道では1勝しただけですが,残り2戦はおそらく牡馬トップと思われるタービランスにさほど差をつけられずの2着でしたので,馬券の観点からは最も魅力を感じていました。好位の内を回り,前で争った馬が苦しくなったところを差し切ったので,はっきりと能力上位だったかはまだ分かりません。出走していない有力馬も存在しますので,評価をするのはまだ様子を見てからでも遅くないでしょう。父はJRA賞で2005年と2008年の最優秀ダート馬,NARグランプリでは2005年がダートグレード競走最優秀馬,2008年はダートグレード競走特別賞のカネヒキリ。その父はフジキセキ。Trovaoはポルトガル語で雷鳴。
 騎乗した船橋の本田正重騎手は2013年10月の平和賞以来の南関東重賞制覇。ハイセイコー記念は初勝利。管理する大井の荒山勝徳調教師もハイセイコー記念初勝利。

 ステノNicola Stenoは書簡の後の部分,二元論を平行論に改革しても身体corpusと精神mensの関係について自分を説得することはできないといっている部分と関連する箇所で,そうした体系が発見され得ないのは理性ratioで考えても明らかであるといっています。その部分からも,ステノがスピノザを説得するために必要であるのは理性であるということを理解していたことを窺わせます。
 とはいえいくらステノがそうした努力をしたところで,スピノザがそれに納得できる筈もありませんでした。たとえば,いかにスピノザが,聖書は人びとを敬虔pietasにさせるのに有益であると考えていて,かつカトリックの信者が現実的に敬虔であったとしても,それはカトリックの支配が必要であるという結論を導くわけではないからです。ステノがこれを主張するために必要なのは,カトリック教会の支配だけが人を敬虔にさせることを証明することですが,そんな証明Demonstratioは初めから無理な話です。スピノザは理性によっても人間は敬虔であることができると考えていました。さらにいうなら,人を敬虔にさせるキリスト教の教えがカトリックの教えだけではないということも,現実的な意味において知っていたでしょう。スピノザの知り合いのプロテスタントの信者にも,スピノザからみて敬虔な人物は確実に存在したであろうからです。もっといえば,スピノザは人を敬虔にする宗教的な教えはキリスト教に特有のものではないと考えていました。イスラムであれユダヤ教であれ,その教えによって人が敬虔であることが可能であると考えていたのです。敬虔な人間をキリスト者と規定するのであれば,たとえばイスラム教徒のキリスト者も存在し得ると考えていたということです。
 そして何より,ステノは本論を開始した直後の箇所で,スピノザには絶対に肯定することができない決定的なことを書いています。それは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』でスピノザが主張している,国家Imperiumに対する服従obedientia,obsequium,obtemperantiaの義務を破壊するような種類の内容でなければ,人間の神Deusについての思想および言論の自由が守られなければならないということを,公共の平安およびスピノザ自身の安全を覆そうとしていることだとしていることです。
コメント
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