スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

富山記念&第二部定理三五

2007-06-14 20:53:48 | 競輪
 昨日,決勝が行われた富山記念の回顧です。
 合志選手がSを取り,小嶋選手の前受け。3番手に武田選手,6番手に石丸選手,8番手から新田選手で周回。セオリー通りに新田選手から上昇し,残り2周のホームで小嶋選手を抑えると,このラインを追った石丸選手がさらに抑え,上昇してきた武田選手がバックから打鐘にかけて石丸選手をさらに抑えて先行態勢に。ホームは関東,瀬戸内,東日本,西日本の一列棒状で通過。小嶋選手と新田選手は捲りに出たのですが,武田選手のスピードがよく,とても前まで追いつけず。結局そのまま武田選手が逃げ切って優勝。マークの幸田選手が2着で3着にも3番手の諸橋選手と,関東勢が上位を独占しました。
 優勝した茨城の武田豊樹選手は3月の熊本記念に続き,今年2度目の記念競輪優勝。後ろ攻めになった新田選手がわりと早めに動いたので,先行しやすい展開になったのが第一の勝因でしょう。準決勝などを見ても調子もよかったようです。今後は何といってもGⅠ制覇に期待。もちろんそれだけの力がある選手です。
 小嶋選手は完全な失敗レース。いくら力があってもこれでは手も足も出せないでしょう。前受けはひとつのパターンですが,ほかのラインの動向も気にする必要がありそうです。

 人間の精神mens humanaを現実的に構成する観念ideaの多くが混乱した観念idea inadaequataであると考えられるということ,またそれら表象imaginatioによる混乱した観念は,の例からも明らかなように,それについての何らかの十全な観念idea adaequataが同じ人間の精神のうちにあったとしても,そのことだけによっては除去されることも排除されることもないということがこれで明らかになりました。
 僕は十全な観念と混乱した観念の関係は,前者が実在的なesseであるのに対して,後者は非実在的な無であると考えているわけですが,もちろん第一義的には,前者が真理veritasを構成するのに対し,後者は虚偽falsitasを構成しているわけです。したがってこれでみれば,人間の精神の大部分は虚偽から成立しているのであって,かつその虚偽は,それに関する真理によっても矯正されることはないということになります。すると,人間の精神は,常に誤謬errorに満ち溢れたものであるということが結論されるように思われます。そこで,こうした事柄が『エチカ』においてはどのようになっているかということをみていくことにしましょう。これは第二部定理三五です。
 「虚偽[誤謬]とは非妥当なあるいは毀損し・混乱した観念が含む認識の欠乏に存する」。
 この定理Propositioがいっていること自体には,それほど難解な要素はないのではないかと思います。
コメント
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