スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

埼玉新聞杯埼玉新聞栄冠賞&フッデと遺稿集

2015-10-28 19:27:19 | 地方競馬
 今年の羽田盃馬と東京ダービー馬が出走してきた第25回埼玉新聞栄冠賞
 ハナを奪ったのはタイムズアロー。発走後の向正面ではハーキュリーズとラッキープリンス,カキツバタロイヤルとアメイジアという隊列でしたが,正面にかけてペースがぐっと落ちたこともあり,4頭は一団になりました。ガンマーバーストとアールデュランがその4頭の後ろを併走。超スローペースであったと思います。
 2周目の向正面に入るとラッキープリンスが単独の2番手になりましたが,アールデュランが捲っていくと後退。3コーナーではアールデュランが2番手に上がり,内からハーキュリーズ,さらにカキツバタロイヤルとストゥディウムが続き,これらの内を狙ったのがガンマーバースト。逃げたタイムズアローは直線に入ったところでも余裕があるように見えたのですが,意外なほどあっさりと馬群に飲み込まれる感じに。コーナーで内を回ってアールデュランの外に出たガンマーバーストと大外に出たカキツバタロイヤルの伸び脚がよく,カキツバタロイヤルが差して優勝。ガンマーバーストが半馬身差で2着。ハーキュリーズに並ばれたらまた盛り返したタイムズアローが1馬身差で3着。
 優勝したカキツバタロイヤルは2012年5月の川崎マイラーズ以来,およそ3年5ヶ月ぶりの南関東重賞4勝目。年齢は重ねていますが入着は続けていたので,極端に力が衰えていたわけではありません。全盛時は重賞でもメンバー次第で通用する能力があったと思いますが,現在はさすがにそこまでは苦しいでしょう。以前は1600mがベストで,現在でもこなしますが,距離適性は加齢とともに長距離寄りにシフトしているとみていいでしょう。上積みを見込むのは難しいでしょうが,あまり人気にはならないタイプの馬なので,馬券面からは今後も魅力的な存在といえます。父は1995年のラジオたんぱ杯2歳ステークスと1996年のきさらぎ賞を勝ったロイヤルタッチ
 騎乗した船橋の中野省吾騎手はデビューから約6年5ヶ月で南関東重賞初勝利。管理している船橋の函館一昭調教師は埼玉新聞栄冠賞初勝利。

 スピノザの遺稿集の出版に対しては,宗教団体による妨害工作がありました。ライプニッツは編集者のひとりがシュラーであることを知っていて,そのときにステノと一緒に仕事をしていたとされていますから,出版を阻止できる立場にありました。でもライプニッツはそれをしませんでした。フッデの場合にも同じようなことが考えられることになります。
 アムステルダム市長であったフッデには,出版を阻止する権限くらいはあったと理解してもよいと思います。また,おそらくフッデはだれが編集していたかを知っていたでしょうから,出版された後にも,出版者たちを処罰する権限もあったと思うのです。ですがフッデは出版を許し,編集者たちを罰することもありませんでしたし,告発することもありませんでした。後に遺稿集が禁書に指定されたとき,フッデは関わったかもしれませんが,少なくともそのときまでは何もしなかったと判断してよいと思います。
 ライプニッツが何もしなかったのは,遺稿集を読みたいという自身の知的好奇心であったろうと僕は推測しました。フッデの場合にはふたつの理由が考えられます。ひとつはフッデはライプニッツよりずっとスピノザと親しく交際していたので,スピノザが生活の面で無神論者などではなく,敬虔であることをよく知っていたということです。さらにフッデはスピノザの哲学の神に関係する形而上学の解説を受けていましたから,思想的な面でも無神論者ではないと理解していたかもしれません。なので遺稿集が出版されても何も問題はないと考えていたというものです。
                       
 もうひとつはフッデは元来が議会派だったので,思想の自由にある程度の理解があったというものです。スピノザとデ・ウィットは,政治信条には相違があったと理解するべきでしょうが,やはり議会派であったデ・ウィットは,国家の安全に問題を生じさせない限り,思想の自由も出版の自由も守られるべきだという考えを有していたので,自身が実質的にオランダの統治者であった時代に出版された『神学・政治論』について,積極的に禁じようとはしませんでした。フッデもそれと同じような考えだったというものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする