スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サマーナイトフェスティバル&ふたつの平行論

2014-08-10 18:46:49 | 競輪
 一昨日,昨日と松戸競輪場で開催された第10回サマーナイトフェスティバルの決勝。並びは天田-平原-武田-神山の関東と深谷-浅井の中部で佐藤,川村,石丸は単騎。
 深谷がスタートを取って前受け。川村が3番手に入り,4番手に天田。以下,石丸,佐藤で周回。残り3周のホームの出口から天田が上昇開始。バックで深谷を叩くと深谷はすぐさま引き,石丸まで5人が前,深谷は6番手で,佐藤,川村に。残り2周のホームから早くも深谷が再上昇。バックで天田を叩ききって打鐘。浅井までが続き,天田は3番手でしたが一杯。車間を開けた平原がホームから発進。しかし浅井がこれを厳しく牽制。外に浮いた平原は苦しくなり,武田が浅井の後ろにスイッチして前3人の争い。ほとんど2周の先行でしたが二の脚も使って深谷が優勝。外を伸びた武田が4分の3車輪差で2着。浅井は8分の1車輪差の3着まで。
                         
 優勝した愛知の深谷知広選手は先月の寛仁親王牌に続いてビッグ5勝目。サマーナイトフェスティバルは初優勝。前回の記念で近畿の連携にやられているので,同じように関東が結束した今回は,その反省から早めに巻き返していくこともあり得るとは思っていました。天田がさほど抵抗できなかったので,激しい先行争いにはならなかったのは確かですが,あの位置から発進して粘ってしまうというのは驚異的。強かったとしかいいようがないですし,現状は対抗するためには,よほどうまく作戦を立てていく必要があるのではないでしょうか。

 第二部定理二一備考には,もうひとつ,同一個体の何たるかを知るために重要な点が含まれています。それはスピノザが,精神mensと精神の観念ideaの間にある関係を,身体corpusと精神との間にある関係と類比的に説明していることです。いい換えれば,身体の観念と身体の観念の観念の関係が,身体と身体の観念の関係と類比的に説明されているのです。
 単純にいうとこれは,精神と精神の観念の関係を,身体と身体の観念の関係と類比的に説明する必要がスピノザにはあったということを意味します。ここから容易に推測できるように,身体と身体の観念の観念は,直接的には説明できないような関係にあるのです。つまり身体と身体の観念の観念というのは同一個体ではないとスピノザは考えていたと解釈するのが妥当であることになります。なぜなら,もしもその両者が同一個体であるのならば,類比的に説明するような必要性は皆無なのであり,直接的に関連付けて説明すればよいだけのことだからです,
 同一個体は平行論的関係が成立することを前提します。したがって,身体と身体の観念の観念との間には,平行論的関係が成立していないということになります。ここから福居純が,ふたつの平行論というように,平行論を延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumの間に成立するものと,思惟属性内だけで成立するものとに,数的に区別したことの合理性が理解できます。第二部公理五からして,人間が認識するcognoscere平行論は,そのふたつに集約されることになるからです。
 なお,人間はあることを知っていれば,自分がそれを知っていることを知ることができます。そしてこれと同様に,そのことも知ることができます。このように無際限に続けていくことが可能です。ですから思惟属性内の平行論はひとつなのではなく,無際限にあると主張するなら,そのこと自体には僕は同意できます。ただ,観念対象ideatumが観念である場合と,観念の観念である場合,そして観念の観念の観念というように無際限に続いていく場合を,数的に区別する必要性を僕は認めません。観念であろうと観念の観念であろうと,それがいくら続いていようと,思惟の様態cogitandi modiであることは同じだからです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする