スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

滝澤正光杯&疑惑

2015-10-20 18:55:59 | 競輪
 千葉記念の決勝。並びは石井-近藤-海老根-伊勢崎の千葉,深谷-山内の愛知,松岡-稲川の近畿で山崎が単騎。
 山内がスタートを取って深谷の前受け。3番手に山崎,4番手に松岡,6番手から石井で周回。石井がなかなか上昇せず,残り2周のホームで先に動いたのが松岡で山崎がここにスイッチ。バックにかけて深谷を叩くと,この外から石井が上昇。松岡の前に出ると松岡は番手戦。この隊列で打鐘になりましたが,石井はなぜかスピードアップせず。どういうことかと思いましたら位置を狙われた近藤の方が発進し,ホームで伊勢崎まで出切ると石井が4番手,松岡が5番手,山崎が7番手で深谷が8番手の一列棒状。力のある選手が後方に置かれるという地元勢にとっては願ってもない展開。松岡が3コーナー付近から動いていきましたが大勢には影響なく,番手から伸びた海老根の優勝。近藤と海老根の中割りになったマークの伊勢崎が半車身差の2着に続いて地元のワンツー。松岡の勢いをもらって大外を伸びた稲川が半車身差で3着。
                         
 優勝した千葉の海老根恵太選手は2011年1月の松戸記念以来となる記念競輪7勝目。千葉記念は2005年以来10年ぶりの2勝目。力だけでいえば山崎と深谷ですが,このふたりは斬り込んでくるタイプではないので,4人で結束できた地元勢の方が有利であろうとみていました。松岡の番手戦はあり得ると思っていましたが,地元勢にとっては想定内で,シミュレーション通りの走行になったものでしょう。スローになったときに深谷は動くべきで,結果論かもしれませんがその消極性が地元勢を助けることになった感があります。海老根は全盛時のような活躍はさすがに無理かと思いますが,一時よりは明らかに走れるようになっていると思います。

 自分が誤った観念を有していることを知るという場合には,ふたつの様式があるとスピノザは考えているのだと思います。
 ひとつは,その観念が誤った観念であると知る様式です。この場合,ある観念があると知りつつ同時にそれが誤っているということも知ることになります。ですから必然的に真理性に対する疑惑が発生します。誤りであると知っていることについてその真理性を疑わないというのは,ことばの上では可能です。あるいは文法的には成立しますが,ことばと観念が異なることに目を向ければ,そんな思惟作用が発生しないことが分かるでしょう。よって虚偽と誤謬の相違に注意すれば,このとき人間の精神のうちには虚偽だけが存在し,誤謬は存在しないことになります。第二部定理一七備考は,この場合の虚偽は人間の精神の長所とみなせるといっています。つまりこの様式においては,疑惑の発生が,むしろ認識の充足に近いことになります。
 もうひとつの様式が,ある観念があるということだけを知り,それが誤った観念であることに気付かないという場合です。この様式では,観念の真理性に対する疑惑は,発生するかもしれませんし,発生しないかもしれません。
 ある事柄が誤りであると気付かないということと,それを真であると思い込むことは,違ったことです。というのは僕たちにはある事柄が真であるか偽であるかということが分からないということが往々にしてあるからです。これは経験的事実といってよいでしょう。この場合にはその事柄の真理性に対しては疑惑が発生しているとみなしてよいと僕は思います。真であるか偽であるか分からないというのは,それが真理であると断定できないということです。しかしもしも真理と断定できているのであれば,真理性への疑惑は発生しないからです。なのでこの場合は,認識の充足とは程遠くても,確かに疑惑は発生していて,虚偽はあっても誤謬はないといえるのだと考えます。
 ですが人間には,誤謬を真理と思い込む場合,いい換えれば虚偽について真理性を疑わないという場合も発生し得るのです。少なくともスピノザがそう考えていたのは間違いないと思います。
コメント
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