スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&書簡六十七

2015-09-28 19:25:02 | 将棋
 第23期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は里見香奈女流名人が8勝,本田小百合女流三段が2勝。
 振駒で里見名人が先手になった将棋は千日手に。先後を入れ替えての指し直し局は後手の角交換四間飛車。戦いが始まったらすぐに差がついてしまいました。
                         
 ここで先手が即座に☗6五歩と反発しました。
 ☖同歩に☗3五歩☖同歩と突き捨ててから☗6五桂。後手は銀を逃げずに☖3六歩と伸ばしました。先手も☗3四歩と打ち返して☖3七歩成☗3三歩成☖2八と☗2二とで桂馬と飛車の取り合いに。後手は☖6四銀と逃げましたので☗3一飛で先手が飛車を先着。すぐにどうこうはないので☖1九とで後手が香得。先手もすぐに☗1一飛成と取り返せましたが☖1八飛に☗5九香と受けることになりました。
                         
 第2図となっては後手が香車を手持ちにした上での手番。先手は歩切れでもあり,はっきりと後手が優勢でしょう。第2図のように受けなければならないのであれば,先手は飛車でなくと金で香車を取った方がよかったと思いますし,一直線の手順が悪かったのであれば,どこかで先に銀を取っておくべきだったと思います。
 里見女流名人が挑戦者に。倉敷藤花戦は失冠した21期以来の三番勝負出場。

 ステノNicola Stenoからの書簡とアルベルトAlbert Burghからの書簡は,定説で出された年が同じだけでなく,共にフィレンツェからのものであった点でも一致しています。このうちアルベルトからの書簡六十七についていえば,僕には論評するべき事柄を見出すことができません。この書簡は論理のかけらもない単なる罵詈雑言にすぎないからです。僕はブレイエンベルフWillem van Blyenburgからの2通目の手紙,書簡二十について,『スピノザ往復書簡集Epistolae』のうちで最も退屈なもののひとつといいましたが,書かれていることだけでいえば,まだそちらの方が内容があると思えます。
 書簡六十七が二十ほど退屈でなかったひとつの理由は,この手紙は二十ほどは長くないからですが,もうひとつ,当時のローマカトリックがどのような方法で信者を獲得し勢力の拡大を企てていたのかが垣間見えるからという理由もありました。
 スピノザは返事の中で,これに関連する重要なふたつの事柄を述べています。ひとつはローマカトリックそのものについてで,教会の規律は政治的なものであり,大衆を欺くことによって人心を抑制するのに最適な方法だということです。スピノザは『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus』で,聖書は服従obedientiaを教えることによって人びとを敬虔pietasにすると主張しているので,これは全面的に否定的な意味ではありません。ただ,欺かれた大衆というのは,理性ratioによって敬虔であることができない人という意味を含むので,アルベルトをそういう人物であると規定していることにはなります。
 もうひとつはアルベルト自身に関してで,アルベルトがカトリック信者になったのは,神Deusに対する愛amorからではなく,迷信の唯一の原因causaである地獄への不安metusによるものだというものです。このスピノザのアルベルト評が正しいということは,書簡六十七を熟読すれば明白であると僕は考えます。
 アルベルトは書簡の中でスピノザのことを憐れな小人間,地上の虫けら,それどころか塵芥,虫の餌食と罵倒しています。僕の推測では,これはアルベルト自身が入信に際して言われたことをそのままスピノザに書いたのでしょう。当時のカトリックはこういうふうに信者を増やしていったのだと思います。
コメント
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