スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

竜王戦&宛先

2015-10-31 19:46:39 | 将棋
 一昨日と昨日に札幌で指された第28期竜王戦七番勝負第二局。
 糸谷哲郎竜王の先手で渡辺明棋王横歩取り。後手は速攻の構え。
                         
 先に1筋を突いた後手が△2三銀と上がって飛車交換を狙ったのに対して先手が▲3六歩と突いた局面。後手は狙い通りの△2四飛
 二局の前例があり,1局は交換,もう1局は避け,どちらも後手が勝っていたそうです。本局は▲同飛△同銀と飛車交換を選択し,すぐに▲8四飛と打ちました。後手は△8三歩と飛車成りを防ぐ順を選択。これは実戦のように▲2四飛△同角▲1一角成で先手が二枚換えで馬を作ることになりますから,ある程度の研究があったものと思います。馬を作られたところで△1三桂。
                         
 このように端に桂馬を跳ねられるのが,先に1筋を突いてある長所。次に△3三角とぶつける手があるので▲1二馬としましたが,手番を得られるだけ得をしていそうです。
 少し後手に得があっただけで,差がついたとまではいえないのでしょうが,この後の数手の先手の構想が悪く,将棋は後手の快勝で終りました。
 渡辺棋王が勝って1勝1敗。第三局は来週の木曜と金曜です。

 スピノザがフッデに宛てた手紙を,スピノザ自身が別に保管していたことを知らなかったとしたら,それが遺稿集に掲載されたことはフッデにとって驚きであったかもしれません。ですが掲載された3通は,いずれもフッデにとって危険でないようになっていました。この3通だけはスピノザが書いたということだけが明らかにされ,だれに宛てられたかは伏せられていたからです。ここでの仮定では,これら3通が遺稿集の編集者たちの手許にあることをフッデは知らなかったことになっています。ですからその宛先を伏せるように要請することはフッデにはできません。つまり純粋に編集者たちがフッデの立場に配慮して名前を伏せたことになります。
 畠中の解説によれば,1882年にドイツでスピノザ全集が出版された時点で,この3通はホイヘンスに宛てたものと解されていたようです。つまり遺稿集が出版されて200年後にも,まだ真相が明らかになっていなかったことになります。ですがその後,ライプニッツの書簡集が発表されたとき,この3通はフッデに宛てたものと判明したそうです。
 スピノザとライプニッツはハーグで会いましたが,ライプニッツはその前に準備のためにひと月ほどアムステルダムに滞在していました。滞在中にライプニッツは市長だったフッデに会っています。僕の推定ではそのとき,ライプニッツはフッデからこれらの手紙を読ませてもらったのだと思います。フッデと会った目的から考えて,ライプニッツにとってそれが有益なことであったのは間違いなく,少なくとも書簡があったら読ませてほしいという要望は出したと思います。その前にロンドンでオルデンブルクと面会したとき,スピノザからの書簡を読ませてもらっているからです。一方,これは少し後で示しますが,フッデとスピノザの間に交友があるということは,ライプニッツはその時点で知っていました。ですからフッデにも,交際を秘密にするために書簡を隠す理由が,ライプニッツに対しては失われています。だからフッデはライプニッツの求めに応じ,書簡を読ませたのだと思うのです。なのでライプニッツはこの3通の宛先を知っていたのでしょう。
コメント
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