スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

加古川青流戦&密約

2015-10-29 19:22:29 | 将棋
 25日の午後に加古川市立青少年女性センターで指された第5回加古川青流戦決勝三番勝負第三局。
 振駒で稲葉聡アマの先手で通常の相矢倉。先手の3七銀・4六角に後手の増田康宏四段は7三銀で対抗。最近はとても少なくなった形だと思います。攻撃の構えですから後手が攻める形に。
                         
 歩を取り込まれた先手が金で取り返した局面。ここから△8六歩▲同銀△7七歩▲同銀というのは部分的にも初めて見たような気がします。狙いは△8五銀の進出。
 ここは▲7四歩と打つのが目につきますが▲6四歩と角道を止めて受けに回りました。これには△7六銀が自然で▲同銀に△6五金と打ち▲同銀△同桂。先手はここでも▲7七歩と打って受けに回りました。
                         
 後手が駒を交換しつつ前に出ていて好調を感じさせましたが,この受けで継続がやや難しくなっているようです。△8六歩▲同歩としてから△6四歩と手を戻せば難しかったのですが,一時的にでも歩切れになるのを嫌ったのか単に△6四歩でしたので,先手が反撃に回って勝っています。
 稲葉聡朝日アマ名人が優勝。アマチュアによる棋戦優勝は史上初でした。

 フッデがスピノザの遺稿集の出版を黙認したと仮定すると,その遺稿集にフッデからスピノザへの書簡が掲載されていない理由について,別の見方をすることも可能になります。それはフッデと遺稿集の編集者の間に,裏で取引があったという想定です。フッデはアムステルダム市長としての自分の立場を危うくしかねないので,自分がスピノザに送った手紙を編集者たちに返却を求め,編集者たちはその要望に応じる代償として,遺稿集の出版についてはフッデに素知らぬふりをしてもらうという密約があったというのが,この想定の大筋になるでしょう。
 僕の推測は,フッデからの書簡が掲載されなかったのは,編集者たちの配慮いい換えれば善意によるものだということです。ですから上述の密約説の立場ではありません。僕の想定は,フッデには遺稿集の出版を阻止する権限があったというものです。なのでもしもフッデが本当に自分が書いた手紙を公にされたくなかったのであれば,編集者たちに密約を打診されてもそんなものに応じる必要はなく,ただ出版に対する中止命令を出し,編集者たちを処分してしまえば事足りたと考えます。つまりこの観点に立つ限り,何らかの密約があったとする仮説は著しく合理性を欠くことになります。よって僕はそうは判断しないのですが,もしも僕が想定しているほどにフッデには強力な権限がなかったのだとすれば,密約説もこの事情を合理的に説明できているとは思います。
 とはいえ,畠中がいっているように,編集者たちにフッデに対する配慮があったということは確実であると僕には思えるもうひとつの事情があるのです。それはスピノザからフッデに送られた方の書簡,すなわち遺稿集に掲載された方の書簡に関連します。
 工藤が示しているところでは,フッデにとってスピノザは思想上の要注意人物であったから,スピノザと親しい交際があったことが表向きになってしまうのは問題だったのです。つまりそれを秘匿しておく必要があったのです。このためには,フッデは自分がスピノザに宛てた書簡を取り戻すだけでは十分でなかった筈です。スピノザが送った書簡も破棄する必要があった筈なのです。
コメント
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