スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典白山大賞典&神の表象

2015-10-06 19:18:16 | 地方競馬
 ダートグレード競走のローテーションの関係から,トップクラスとは差がある中長距離馬にとって格好の目標となる第35回白山大賞典
 すんなりとエーシンモアオバーの逃げ。1周目の向正面では押してスギノハルバードが単独の2番手。やや出負けして追い上げたマイネルバイカ,ソロル,ジャングルスマイルの3頭が続き,その後ろにソリタリーキング。最初のコーナーワークでマイネルバイカがスギノハルバードのインに並んで正面に。ここでソロルが動き,1コーナーではエーシンモアオバー,スギノハルバード,ソロルの3頭の併走になり,マイネルバイカ,ソリタリーキングが続く隊列に。ですがこの後のコーナーワークでまたエーシンモアオバーが単独の先頭に立ちました。超スローペースだったのではないでしょうか。
 向正面でソリタリーキングが動くと,スギノハルバードとソロルは追走できなくなり,エーシンモアオバーの外にソリタリーキング,3番手のインにマイネルバイカの順で直線に。エーシンモアオバーとソリタリーキングの間を割ったマイネルバイカが伸びて優勝。逃げたエーシンモアオバーが1馬身半差で2着。ソリタリーキングが1馬身半差の3着。
 優勝したマイネルバイカは重賞初勝利。オープン特別では勝っていますから,それなりの力はありました。ペースが速くなると追走で一杯になるケースが多く,それほど速くならない長い距離の交流重賞には,持ち前のしぶとさから適性があるのではないかと思われました。注文がつくので上位クラスとの対戦では大変かもしれませんが,このクラスの相手では,ペース次第で相当の活躍が見込めるのではないかと思います。祖母の半弟に1990年のニュージーランドトロフィー4歳ステークスを勝ったミュージックタイム
 騎乗した柴田大知騎手は白山大賞典初勝利。管理している西村真幸調教師は今年の3月開業で重賞初勝利。

 書簡六十七の内容からみて,アルベルトが神の「しるし」あるいは真理の「しるし」が外的特徴によって保証されると理解していたことは,僕には間違いないと思えます。そうであるなら,平面上の内角の和が180°であることをアルベルトが知っているように,自分は神が絶対に無限な実体であることを真理として知っているというスピノザの説明は,アルベルトには理解困難であったと僕は思います。アルベルトがスピノザのこの説明をどのような方法で理解しようとしたかまで推測すれば,その内容はアルベルトにはさっぱり分からなかったと断定しても構わないくらいに思います。
                         
 真理の「しるし」を外的特徴に依存して判断していた限りにおいて,アルベルトはきっとスピノザの説明を表象を利用して解そうとしたに違いないと僕は考えます。ですが、平面上の三角形は容易に表象できるのに対して,神をそれと同じように表象することはできません。『神学・政治論』では,旧約聖書において神の形相が預言者によって異なって記述されていることに触れられています。第二部定理一六系二により,各々の預言者は自身の身体の現実的本性のありようによって神を表象するのですから,このこと自体には何ら不思議はありません。そしてこのことは表象という思惟作用一般に該当しますから,各人は平面上の三角形を表象する場合にも,自身の身体の状態に応じて表象していることになります。要するにだれもが同一の三角形を表象しているのではありません。ですが,三角形を表象する場合には,少なくとも内角の和が二直角の図形を表象するという点では,だれもが一致しているといってよいでしょう。これに反して神を表象する場合には,このような一致すら存在しないといえます。それは預言者ほど表象する力に卓越していた人びとの間で,違った形相で神が記述されたということ自体が証明しているといえるでしょう。僕が,平面上の三角形は容易に表象し得るけれども,神はそうでなないというのは,このような意味においてです。アルベルトがどのように神を表象していたかは分かりませんが,三角形の表象ほど容易でなかったのは間違いないでしょう。
コメント
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