スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

菊花賞&改宗の動機

2015-10-25 19:09:45 | 中央競馬
 故障のため二冠馬不在での争いになった第76回菊花賞
 ゲートの中で立ち上がったスティーグリッツは大きく出負け。好発はレッドソロモンでしたがスピリッツミノル,リアファル,ミュゼエイリアンが追い抜いていき,概ね1馬身ほどの間隔でこの3頭の先行。控えたレッドソロモンが単独の4番手になり,キタサンブラックとタガノエスプレッソが併走。リアルスティールがその後ろになりました。最初の1000mは60秒2でスローペース。
 向正面に入ってアルバートドッグが外を上昇していったことで,隊列が大きく変化。前で合わせて動いたミュゼエイリアンとタガノエスプレッソが並ぶように先頭に出て,アルバートドッグが3番手に。下げたスピリッツミノルとリアファルとレッドソロモンがこれらの後ろ。やはり動いたリアルスティール,タンタアレグリア,マッサビエルの3頭が続き,控えたキタサンブラックがこの後ろのインに位置取りを下げました。
 直線に入るとタガノエスプレッソは一杯になり,リアファルがミュゼエイリアンの外へ。コーナーもインを回ったキタサンブラックはそのまま最内に進路を取ろうとしましたが,ミュゼエイリアンがラチ沿いまで寄せたのでミュゼエイリアンとリアファルの間に進路を変更して先頭に。これをリアファルの外からリアルスティールが追い詰めましたが僅かに届かず,キタサンブラックの優勝。リアルスティールがクビ差で2着。リアファルが半馬身差で3着。
 優勝したキタサンブラックはトライアルのセントライト記念からの連勝で大レース初制覇。メンバー中唯一の重賞2勝馬で実績は上。精神的にどっしりとしているところがあり,距離をこなす要素もありましたが,血統的な裏付けにあまりに乏しく僕は軽視していました。レースが終った後でもこの馬が菊花賞を勝ったというのは驚きです。ただ,絶妙のコース取りがあった上での優勝なので,純粋な競走能力は2着馬の方が上かもしれません。父は2004年のスプリングステークスを勝ったブラックタイド。母の父はサクラバクシンオー
 騎乗した北村宏司騎手は昨年の天皇賞(秋)以来の大レース制覇。菊花賞は初勝利。管理している清水久詞調教師は開業からおよそ6年4ヶ月で大レース初勝利。

 自分が目撃したであろうステノの奇蹟,あるいは伝聞によって知った過去の奇蹟だけを表象し,カトリックにとって都合の悪い表象imaginatioを避け,表象の動揺を起こさなかったのは,カトリック信者としてのステノNicola Stenoの現実的本性actualis essentiaに由来するものと僕は理解します。『宮廷人と異端者The Courtier and the Heretuc : Leibniz,Spinoza,and the Fate of God in the Modern World』で,スチュアートMatthew Stewartがステノを狂信的と表現するとき,そのような意味合いでいっているなら,僕も否定しません。ですがそれが現実的本性に由来する以上,それでステノを批判する気には僕はなれません。
                         
 僕はステノとアルベルトAlbert Burghの相違として,このことに関連する部分もあると思うのです。いってみればふたりともプロテスタントからカトリックへの改宗者だったのですが,改宗の動機には大きな相違があったと思うのです。
 アルベルトの場合,スピノザが返信で看破しているように,地獄への恐怖metusだけがその動機でした。この恐怖は僕が不安metusといっている感情で,第三部諸感情の定義一三から悲しみtristitiaです。つまりアルベルトは悲しみを避けたかったのですが,改宗だけでそこから逃れられる筈がありません。アルベルトがカトリックの闘士となり,自分の家族や親しかったスピノザを困らせるような行為に及んだことと,この改宗の原因causaは大いに関係しているものと思います。
 ステノは,自身のことばでいえばカトリックの原理を信じたいという思い,僕の解するところでは真理性についての確実性certitudoを得たいという思いから改宗に至りました。これはステノの欲望cupiditasです。ですから改宗したこと自体がステノの喜びlaetitiaであった筈です。喜びといってもこの場合は受動的ですが,単に悲しみを忌避する受動passioとは異なります。というのはステノにとってはカトリックの優越性を表象すれば喜びを得られ,それだけで十分であったことになるからです。もちろんステノにはこの喜びを多くの人と分かち合いたいという思いはあったでしょうが,それができずとも,また他人がカトリックを否定しようとも,自身の喜びは揺らがなかったであろうからです。ステノのスピノザへの書簡が,わりと冷静に書かれているのは,知性intellectusの差異もあったでしょうが,改宗の動機の差異もあったと思います。
コメント
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