細川護貞氏は司馬遼太郎氏との会談の中で、「細川家は肥後弁を使っていた」と語っておられる。時折「古語辞典」に出てくるような言葉が存在することに気付く。熊本弁はどのようにして形成されたのか・・・言葉も「音」と同じように、音源(京都)から波のように地方へ伝わったとされる。音源に近い所では新たな音が度々伝えられ、言葉も新陳代謝されるが、遠い所では波が伝わらなかったりして、古い音(言葉)が残されたと考えられている。戦国期、熊本にはいろいろな地方から人が集まった。加藤時代には名古屋弁だったろうし、細川の時代には丹後、丹波、若狭その他地元の言葉も混じり、いろんな言葉が飛び交ったのだろう。熊本と八代では、随分言葉やイントネーションが違うけれど、松井家の侍衆の関係もあるのだろうか。バッテン荒川に代表される熊本弁は、「新町言葉」などと言われるが、熊本中があんなではない。祖母たちが話していた熊本弁を、今一度きいてみたい。
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遠方から人が来ようが、通販に電話かけようが熊本弁丸出し・・(^^;
両親が横浜の姉の家に行ったとき、たいていの熊本弁は理解できる甥っ子たちがじいじとばあばの熊本弁を聞いて外国語?と言って固まったくらいですから・・(^^;
ちなみに私は叔父の影響もあって関西弁と熊本弁の混合タイプ?です。時々自分で理解不能なことがあります(^^)
よく熊本弁をしゃべっておりました。
いまだによく覚えているのは、
「耳のは握ってとぶごつある」というものです。
どんなシチュエーションで使っていたかはもう
定かではありませんが、、、、。
いとすを間違えました。すみません。訂正します。