津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

西山左京殿消息

2009-04-04 12:09:30 | 歴史
 真 伊豆(真田伊豆守信之)に宛てた、寛永十五年三月十五日の忠利の書状がある。嶋原の乱に関する、「遠路為御見廻御使者を被下御志之程何共御礼難申尽候」とするものである。本文は略するが、文末に興味深い一文がある。足利将軍家の血筋である西山左京(足利義辰=西山道鑑の子)についてである。

       尚/\西山左京殿之儀大坂ニ至候へ共なじミ申候へハ無紛事と存
       我等国へ申入心安御有付候様ニ仕度右之仕合ニ候以上

 同年二月廿三日付け左京の長岡監物宛書状によると、左京は嶋原に在ったと思われる。この時期はまだ客分の身分であり、嶋原の落着後上坂(若しくは上洛)したのであろう。足跡がうかがえる貴重な一文である。そして相手が何故真田信之なのかも興味深い。
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