津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

綱利の跡継ぎ事情

2008-04-28 10:42:30 | 歴史
細川綱利の略年譜である。
 誕生  寛永二十年(1643)正月八日、江戸にて誕生
  7歳  慶安二年(1649)父光尚卒、翌年四月特例を以て遺領相続
 12歳  承応三年(1654)婚姻 (松平讃岐守頼重女・實水戸徳川頼房女)
 19歳  寛文元年(1661)初入国
 24歳  寛文六年(1666)弟・利重に蔵米知行三万五千石内分、新田支藩とす。
 25歳? この時期・細川家長老松井興長諫言す
 33歳  延宝三年(1675)正室本源院逝去
 45歳  貞享四年(1687)嫡子与一郎誕生・元禄十三年逝去
 47歳  元禄二年(1669)次子吉利誕生
 59歳  元禄十五年(1702)十二月十五日浅野内匠頭遺臣、主君の仇敵吉良上野介を討つ。
             元家老大石良雄以下十七人預けられ、翌年二月四日白金邸にて切腹
 63歳  宝永三年(1706)継嗣・吉利逝去
  ?  この時期柳沢吉保三男安基を養子に願うも実現せず
 65歳  宝永五年(1708)弟・細川利重次男利武(宣紀)を養子とす
 67歳  宝永七年(1710)生母清高院逝去
 69歳  正徳二年(1712)隠居
 71歳  正徳四年(1714)十一月十二日白金邸にて卒す

 老域に入った綱利に、継嗣吉利の死は辛い出来事であったろう。柳沢吉保三男安基を、養子に望んだという事実も理解できるように思える。老中稲葉正住の反対によりその望みも潰えて、弟利重の次男利武を養子に迎えるのは、その直後の事である。後の宣紀、時に36歳であった。21人の子をなした宣紀だが、その子らはすべて宗家相続後に生まれている。宣紀の立場が垣間見えて面白い。
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