津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大日本近世史料・細川家史料「忠興文書-慶長九年」を読む

2023-04-13 09:11:03 | 先祖附

忠興文書-慶長九年

 35、二月九日書状
  ・弟・玄蕃(興元)の返事の趣承知した
  ・白鳥のこと?
  ・石川康長に志津の刀を贈った、満足の様子で何より
  ・南蛮の笛(所望の様子に付)則進上する
  ・仲間の交代については、隼人・左馬允から申す
  ・家康の上洛は三月まで延引となったので、御見廻を指し下した
  ・諸大名江戸に屋敷を拝領する、六・七番目に申し請ける

 36、(二月・三月の頃か?)書状
  ・屋敷のことは土肥利勝の意向次第にすべし、当方よりは何方とは申し上げない
  
 37、五月十二日書状
  ・伏見にて家康に謁見し四月半ばに下國した、
  ・稲富一夢(元・細川家臣)のこと、詳細不明 (稲富はガラシャ夫人自害後細川家を逃亡している。執り成しについてのことか)
  ・徳川秀忠が近日馬揃えを為される由、その道具について一つ書を送る
  ・江戸屋敷の家屋の切り込みを大阪で行い江戸へ送る
  ・豊前の方は別儀ないから安心せよ
  ・信長馬揃の時の評判について・・たしなみが肝要である

 38、六月十六日書状
  ・江戸屋敷普請の奉行を江戸へ遣わす
  ・去る月の十日頃より患ったが、早本復した、周りの者が事々しく伝えるかもしれないので自筆にて認める

 39、七月五日書状
  ・病は快方に向かっている
  ・差し上げられし馬の礼

            (以降慶長六年の書状はなし)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■『永青文庫研究第6号』無料... | トップ | ■明智光秀の甥って誰 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿