忠興文書-慶長九年
35、二月九日書状
・弟・玄蕃(興元)の返事の趣承知した
・白鳥のこと?
・石川康長に志津の刀を贈った、満足の様子で何より
・南蛮の笛(所望の様子に付)則進上する
・仲間の交代については、隼人・左馬允から申す
・家康の上洛は三月まで延引となったので、御見廻を指し下した
・諸大名江戸に屋敷を拝領する、六・七番目に申し請ける
36、(二月・三月の頃か?)書状
・屋敷のことは土肥利勝の意向次第にすべし、当方よりは何方とは申し上げない
37、五月十二日書状
・伏見にて家康に謁見し四月半ばに下國した、
・稲富一夢(元・細川家臣)のこと、詳細不明 (稲富はガラシャ夫人自害後細川家を逃亡している。執り成しについてのことか)
・徳川秀忠が近日馬揃えを為される由、その道具について一つ書を送る
・江戸屋敷の家屋の切り込みを大阪で行い江戸へ送る
・豊前の方は別儀ないから安心せよ
・信長馬揃の時の評判について・・たしなみが肝要である
38、六月十六日書状
・江戸屋敷普請の奉行を江戸へ遣わす
・去る月の十日頃より患ったが、早本復した、周りの者が事々しく伝えるかもしれないので自筆にて認める
39、七月五日書状
・病は快方に向かっている
・差し上げられし馬の礼
(以降慶長六年の書状はなし)
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