Youtubeを見ていたら、「ひたすら磨く」というテーマで流している作品があったが、その中に「畠でひろった一文銭」があった。
如何にも専門家の仕事で、いろんな研磨剤などを駆使してこれでもかと磨き上げるが、銅鏡など本当にピカピカになり昔はこんなだったのかと感心させられる。
さて先の一文銭、いつもくたびれ果てた姿を見ているから、全く別物を思わせる代物になる。
ふと、一文銭には鉄製のものがあるが、是を磨いたらどうなるのだろうと思ったことだった。
幕末、鉄製の一文銭二枚で銅製一文銭を大阪で買い占めようという話があったらしい。
贋金つくりの話である。鉄銭も銅銭も一文は一文であるから、大阪中の銅銭を集められると考えたらしい。一方大阪では鉄銭一文銭が二倍になるという儲け話である。
これは集めた銅銭を鋳潰して、天保銭を作ろうというのである。
贋金づくりと言えば薩摩が知られるが、上記の話は土佐である。いずれも公式の記録が残るわけないから、真実のほどは判らないが、岩崎弥太郎傳によると幕府の許可なくニ分金などを私鋳したと記している。
つまるところ、薩摩や土佐の贋金が明治維新の大切な資金の一部になっていることが伺える。
考えてみると、三貨制度の中で「銭」という貨幣がいかにも庶民的だが、これとて一般の商取引で使われていたが、大きな事業はやはり、「金」「銀」決済なのではないかと思うのだが、例えば「通潤橋」の35億円といわれる建設費が、銭匁勘定で決済されているのが非常に興味深い。
穴あき銭に紐を通す苦労がいかばかりかと思うのである。96銭(貫文緡)は100文として通用しているが4文は「緡」を作るための手間料だとされる。
このままだと貫文だが、ばらしてしまうと96文になるという、一種江戸時代のおおらかさを感じてしまう。
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