以前「松本甚十郎殿」の向立「志賀美」をご紹介したが、こちらも「しかみ」の向立である。勇ましい兜のデザインに似合わず、一族は熊本の花の歴史に多大な貢献をされている。
細川藩の重職を勤めた仙九郎は藩主齊茲の命により、息仙右衛門とともに華道宏道流に入門する。のちに豁雲斎梨明と称し肥後宏道流の祖といわれる。
二男吉田潤之助は肥後花菖蒲の祖であり、七男久之允の子・山崎貞嗣は肥後山茶花の祖といわれる。まさに熊本の花の文化を作った一族である。
5、仙九郎 江戸御留守居 五百石外ニ百御足
寛政十三年九月(大組附)~享和二年十月 中小姓頭
享和二年六月~文化四年五月 用人
主命(斎滋)により息仙右衛門とともに、華道宏道流に入門す、肥後宏道流祖
肥後宏道流初代
仙九郎---+---(嫡子)仙右衛門
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+---(二男)吉田潤之助 肥後花菖蒲之祖
| 細川斉護代主命ニ依リ菖蒲ノ分苗ノ交渉ヲスルモ不可、
| 故ニ浪人菖翁ニ弟子入シ培養法ノ伝授ヲ受ケ天保四年帰国
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+---(三男)須佐美七郎助
| 二代 三代
+---(七男)山崎久之允(伝左衛門)---半之助(貞嗣)肥後山茶花之祖 参考:肥後六花
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