細川内記(忠利)は慶長18年の正月は江戸で迎えている。義叔父(忠興妹・加賀の婿)の日出藩主・木下延俊、義弟の稲葉一通(妹・多羅の婿)の父で臼杵藩主の稲葉彦六(典通)などと江戸での生活を助け合っている。
正月の末帰国の御暇が出ると三人はそろって帰国の途に就き、京都までの道中は宿場町を同じくするなど、さらなる交流を深めている。
京都で延俊は、豊臣秀頼や叔母に当たる高台院(秀吉正室・ねね)などに面会するなどしてしばらく滞在している。
細川内記は帰国の途に就いた。
慶長18年
3月29日ー細内記殿より御使者並びに御樽肴参り候。
4月19日ー高台院さまへ御ぶん(豊ー細川加賀二女)さま、かつじき様御出候。
29日ー津田平左衛門尉殿へ細川内記殿の御状を遣はされ候。
5月 6日ー長岡中将(中務ー細川孝之=幽齋四男)より御使者。
7日ー(大徳寺高桐院)玉甫様(三淵氏・幽齋実弟)へ二郎兵へヲ遣はされ候。
26日ー玉甫様へ御見廻成され候。
6月 1日ー晩ニ内記さまノ(御使者)三郎四郎、江戸より罷り上り御対面成され候。
17日ー長岡中務(孝之)殿より使者参り候。
18日ー大徳寺玉甫様御はて成され候。
(延俊は28日には京都を離れ大阪へ向かった。29日には秀頼へ御礼、織田有楽斎の茶湯に出席、7月1日帰国の途に就く)
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