細川家を知る上では、「綿考輯録」は絶対欠かせない資料ではあるけれど、その内容が100%信頼がおけるかというと、そうとも言えない。(詳細の指摘はさておく)
編者小野武次郎は、いろいろな資料や家記から、極めて詳細に記述しながら「いぶかし」と言う言葉を使って、疑問ある事柄を半ば否定している。ところが研究者によっては、この「いぶかし」き文章が本物となって一人歩きを始めている。しかしこの「いぶかし」き文章は、ちゃんと該当する家の「先祖附」などで裏は取る事ができる。小野武次郎の苦労が分る。おかしいと思うけれど「先祖附」などの資料がでてくると、「いぶかし」とでも書かずば事は収まらない。先祖附の記述の信憑性は、どのようにして確かめられているのか・・・我が家の先祖も「○○守」などと名乗っているけれども、本当かしらん。
編者小野武次郎は、いろいろな資料や家記から、極めて詳細に記述しながら「いぶかし」と言う言葉を使って、疑問ある事柄を半ば否定している。ところが研究者によっては、この「いぶかし」き文章が本物となって一人歩きを始めている。しかしこの「いぶかし」き文章は、ちゃんと該当する家の「先祖附」などで裏は取る事ができる。小野武次郎の苦労が分る。おかしいと思うけれど「先祖附」などの資料がでてくると、「いぶかし」とでも書かずば事は収まらない。先祖附の記述の信憑性は、どのようにして確かめられているのか・・・我が家の先祖も「○○守」などと名乗っているけれども、本当かしらん。
知り合いの某氏から、こんなご紹介がありました。朝日新聞の昨年12月2日の切抜きから、細川家家老から「生絹」贈られお礼の見出しで、郷土史家が発見したとのこと。富沢さんは「生絹」をすずしと読みこのしろ寿しを2樽贈ったと解釈した。八代市立博物館未来の森ミュージアムの学芸員らは「生絹」は当時の領主間の贈り物に使われた絹織物と解釈している。このしろ寿しは久美浜名物で酢でしめたコノシロに甘辛く炊いたおからが詰められている。富沢さんは、12月発行の郷土史「郷土久美浜」に発表する。との事
原文FAXしておきます。
様も疑問を持って、書き残しています。田邊籠城
時の名前について、当家に関係ある家の家記に間
違ってその家のご先祖様のように書いていること
についての事です。田邊籠城より百数年後の事で
す。