津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■松寿庵先生・第164講

2015-10-24 09:29:27 | 史料

                     細川家の東京の墓所・妙解院は東海寺の中にあります。■六石をご覧下さい。 

 東京における細川家墓所は、東海寺塔頭の一つであった元妙解院の一部にある。東海寺は山号を万松山と称し、寛永十六年(1639)に三代将軍家光によつて創建され、沢庵宗彭を開山とした臨済宗大徳寺派の寺院である。
妙解院は、寛永二十年(1643)肥後熊本藩主細川光尚がその父忠利の菩提を弔うために沢庵宗彭を開祖として建立した寺院で、後には清光院・少林院とともに細川家の江戸における菩提寺の一つであった。明治四年廃寺となったが、墓所は細川家の所有となつて現在に至っている。
幕末から細川家では妙解院を六石(りっこく)、少林院を松濤阜と呼んでいた。
元妙解院墓地は、「上の壇」と「下の壇」の二つの区域に分かれている。「下の壇」には十八の墓標があり、六代宣紀・七代宗孝・八代重賢・十一代齋樹・十二代齋護の歴代藩主の墓標は、安山岩製の五輪塔で統一され、水輪には法号と没年月日が刻まれている。正面には唐破風造の拝殿があったが、昭和四十年代に取り壊されて今はなく、拝殿跡の基壇が残っている。周囲には家臣から奉献された石燈籠を配している。十一代齋樹の墓標は当初少林院にあった
が、昭和四十一年赤羽線(山手線)複線化工事のため元妙解院墓地に改葬されたものである。十三代韶邦以降の当主の墓標は、元妙解院墓地に現存している。                 (東京都教育委員会・平成10年3月発行 文化財の保護 第30号 より要約引用)

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