津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■大石内蔵助(?)、細川藩士の出自等を尋ねる

2014-06-22 07:41:23 | 人物

 赤穂浪士に関する「堀内傳右衛門覚書」に、大石内蔵助と思われる人物が細川藩士数人の出自などをたずね、是に答えた一項は大変興味深い。(p308)

坂崎忠左衛門殿は、いか様の筋目にて候哉と御尋候に付、忠左衛門親清左衛門と申候は故越中守代児小姓にて、懇に召仕段々取立、當越中守代にも心に叶、其後家老に被申付、以後家督を嫡子に譲り致隠居候て病死仕候、嫡子病気に有之知行を上候、忠左衛門は二男にて幼少より段々取立、懇に召仕候、只今は大方親の身體程に結構に被召仕候
三宅藤兵衛殿はと被尋候、藤兵衛儀は少わけ有之者にて、定て御聞及可被成候、明智日向守殿は先祖越中守と少すうき有之、日向守殿内に明智左馬助と申候て名高き者有之候、藤兵衛は其子孫にて御座候、其故様子よく召仕候
長瀬助之進殿はと被申候、是は三齋代小谷又右衛門と申候て名高き者有之候、足軽に具足を着せ武者足軽とて五十人宛仕立、右又右衛門預申候、其末にて側に召仕申候
堀尾万右衛門殿はと尋被申候、是は堀尾山城守殿の末にて、幼少より心に叶、懇に側に召仕候
(宮村)團之進殿はと尋被申候、是も代々召仕候者之忰にて、幼少より心に叶、段々御取立結構に仕候と申候へは、度々御出被成候、扨て能御辨舌、奇麗なるおし立てとほめ被申候
横山五郎太夫殿はと被尋ね候、五郎太夫は定て御聞及も可有御座候、嶋原陣場にて板倉内膳正様御討死の砌、祖父横山助之進と申て物頭仕候を、内膳正様え被付置候て、一所に討死仕候、其子孫にて御座候、懇に召仕唯今小姓頭に申付候、助之進同前に伊藤十之允と申す者も討死仕候、其子孫只今伊藤又右衛門と申て、側に召仕候
平野九郎右衛門殿はと被申候、是も祖父以来代々能召仕候、只今小姓頭申付候、遠江守様の平野にて御座候
中瀬助五郎殿はと被申候、是は御聞及も可有御座候哉、三十年斗前摂州芥川にて十三四歳の時、親之敵を首尾よく討申候、少譯も有之幼年より召仕、小姓頭勤候 と夫夫致返答候へは、扨々御大家様と感被申候事 

コメント
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