つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

簡単な事、先ず掃除をしなさい

2024-05-25 | Weblog
この世は一切皆苦の世である。そのため、この世に誕生した時、
「おぎゃあ~」と泣き叫ぶ。苦しみ抜いて生きることの悲しみ、切なさの雄叫びである。
誕生の「誕」の文字の意味は、「でたらめ」「嘘」「偽り」「生まれる」などである。この世は仮初な世なのである。真実の世界はあの世である。
あの世が真実の世界であるために、その世界を幸せにするために、
仮初としてこの世で生きるのである。人の肉体を動かすのは魂である。魂が肉体をもってこの世に生まれるのは、魂には死が無く、肉体感覚を通してのみ成長するためである。肉体は必然消滅するが、魂は死なないのである。物理には無い存在である。そのため自由にしてある。精神的存在が魂、その魂が、肉体に宿り、肉体経験の積み重ねが記憶となって心となっている。その心が、真実の世界を正しく認識、記憶するための仮初の世としてこの世となっている。肉体をもって生きる人生、このわずかな限られた時間の不自由さの中で、如何に真実の世界を理解でき、幸福な世界にできるかがこの世である。
魂は、この自由の制限された肉体にして、正しく認識できず、誤解して記憶してしまう。肉体こそ生命であると錯覚するのである。そのため、不自由にして、記憶は肉体倫理となって生命倫理とならず、いつまでもこの世とあの世を行き来する。生死は一切苦しみにある。この輪廻から脱却するには、魂である生命こそ大切、大事であるとしていかなければならない。生命である魂に死というのは無い。死が恐怖の源であるために、死が無いと分かれば、何の恐怖がありましょうか?生命世界こそが魂の真実の世界であり、そのためにこの世で努力して生きていくのである。その努力とは悪事をしない事である。ただそれだけの事。偉人達人にしかできないとする難行苦行など一切必要としない。
ただ悪事を為さないことにある。誰にでもできる簡単な事である。その簡単な事ができなければ、いつまでも苦しみの世を行き来する。簡単な事を難しく思うから、「心をみがけ」とまずそこから諭す。衆生済度とはそういう事である。
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