人が動くと書いて働く。この働くという事は、
動く物であるとする動物であるために、人が動いて傍が楽になるとして働くという。何も金銭をもらうために働くという事ではない。金融支配社会はこの事を上手く利用して洗脳、生活とした。その挙句の果て、格差が生まれ、優劣が生じ、、隷属することを善とした。ほぼほぼの人達は、そのために奴隷となって、従属、自分と言う自由が無くなった。それは、まるで鎖につながれた犬の様である。
犬は従順な性質にあるために、飼い主に従う。鎖に繋がれていることを自由として、本当の自由を知らない。野(自然)に生きることの本能を奪われ、不自然にして、人間に合わせた自然では生きていけないようにされた。そのために、野に放たれ、自然に生きることの厳しさに対応できなくなってしまった。依存することが自由となってしまった。主人に従う事で生きられる命となった。それは、本能である自然に反したことであった。この犬の姿が、現代の人間の姿でもある。
頭脳的人間の落とし穴である。まんまとはまって、遥かに時が流れたが、
存在のエネルギーは円運動である自由をもって、必然、元に戻る。
人工的に図られた物事は、効力を失う、消滅するものである。
これは道理であるために、絶対である。良い悪いは無く、どちらも変化していくのである。ちょうど今頃という時の間に、5・6・7という数字をもって表れた現象。
5億6千7百万年、或いは、56億7千万年とする月日の意思は自由である。
太陽の外郭の炎を微にして、時を告げた。それをどう捉えようと自由である。
無知にあるもの、疑いにあるもの、純真さの度合いよって、禍が現れた。
本能として、免疫の有る生命は、自らに修正、治癒する。抗体は本能である。
持って生まれた魂の「智」である。
存在するというエネルギーの法則には善悪は無い。それ故、絶対善の動きとして回る。人の動きと言うのはすべてこの法則の下、浄化の動き、行為となっている。「働く」というのはそういう事である。金銭を求めることではない。
対価を求めて動くのは、金融支配下の奴隷、ただの労働となって没する命、
何度生まれ変わっても、この配下にあれば虚しいだけである。だから、
この世に生まれることを誕生として祝うが、この世は一切皆苦、だから、誕生の「誕」の文字は「でたらめ」「うそ」という意味を持つ。そのために、
この虚の世界の恐ろしさに、誕生した瞬間、「ギャー」と泣き叫ぶ。
「虚」にあるこの世である。生命の本当の世界は魂の世界、あの世である。
だから、この世に執着してはならない。執着すればするほど苦の世界となっている。生が死を絶対条件として在るのは、あの世こそ、生命の真実の世界だからである。故に、この世の記憶を正しく記憶することである。正しい記憶となれば、あの世は極楽、天国となっている。
洗脳されてはならない。
洗脳されてはいけない。