つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

思議することができない世界

2024-06-15 | Weblog
時が経ち、昔好い事としていたことが間違っていたと分かってきて、訂正されていく。進化というのは時の流れにある。変化という事に気づく。
動くという事に時間と空間が生まれる。すれば、動きが無ければ、時間も空間も生まれないと分かる。変化はない。
意識も動きである。意がこれとあれを識別する。この動きが時空を生むと分かる。意が識ることが無ければ「無」となる。「識」というのは、これはこれ、あれはあれと区別して知る(覚える)。と辞書にある。意識の動き、つまり、生命エネルギーの動きである。その動きは、円運動の自由な動きとなっている。
円運動であるために元に戻る、返る(変える)動きである。
そのために、永遠に無くなることが無く、繋がっていくエネルギーとなっている。私達が感じる一日という流れに見て取れる。常にゼロに戻りゼロから始まっていく。これを不増不減という。また、不生不滅、不垢不浄という。
ゼロは1から9仕切り、すべてをゼロに帰す。これが存在というエネルギーの自由、意識であり生命である。宇宙の唯一無二の存在エネルギー、自由である。
そのため自由はいかなる力をもってしても動かすことはできない。なぜなら、自由であるためである。この意識を理解することに由って、あらゆる間違い、誤解、錯覚などを正すことができる。私という生命が生じたのも、意識の反応である。動きに対する刺激を受けての反応、どう刺激に応対したかで、それぞれの世界が現象している。エネルギーは波動であり各波調を持っている。それが各波動の調の緒である。刺激に反応したそれぞれの自由の波動は、調べの緒として各交わり、あるいは、移調となったりして、世界観が現れる。
それぞれに大千世界となる。意の識別は無数にして在り虚空である。
自由にして、自身に由る意識の調は、智恵を身につけてこそ理に適う。
その理は、縁にして同調律となる。波動共鳴する。
このようにエネルギーは動きであり絶え間なく動いている。
宇宙は自転しながら公転している。いつも同じに見えるが、季節ごとに見え方も違ってくる。すべてが同化して動いているために、動きに気が付かないが、
光速で動いている。不変な速さであるが、応変にしての自由を持つ。
感じ取る動きはそれに対応しているが、どんなに調べても同化にあるために、
一秒は一秒として変わらない。
光に乗って光を放てば、光は同じ速さで離れていく。不思議だが本当だ。
不思議とは、思議することが不要とすること。不可思議では無いが、
不可思議と認識すればわかりやすい。
不可思議な世界が当たり前の世界である。


コメント
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