世の中は実に浅ましい人が多いように思われる。
不便として生活が自然的だったころ、つまり、発展途上にまだまだあるときは、
心が豊かであけっぴろげであった。隠す事がないものであった。
勝手知ったる他人の云々で、互いの事情はよく知られていて、また、それをどうのこうのと
論うわけでもなく、寧ろ案じたものだ。
便利は楽と知り、
物の欲が高まり、他人よりも抜き出て羨望にあやかりたく、所有欲が勝り、共存共栄をなくし、
人の心が荒んでいったような気がする。
隠し事が多くなり、本音と建前で世渡り上手に自分を卑下し、他を持ち上げて、
家の窓にも心の窓にもよくカーテンをかけて、本をカムフラージュしていった。
‘他人の不幸は蜜の味’とまで密かに思い、‘お気の毒ねぇ’と言えども、
ペロリと舌を出す始末。
さて、
高度成長期?を歩んで、心の堕落が進み、して、
どこかしこ歪が生まれていることを薄々本能で知る。
そうして、
天気は乱れる。
その気は怒り雷鳴となり、広くまた局地を轟かし、大地は揺れて
風は吹き荒れ、雨水は洪水となって流れ落ち、汚いも奇麗もなく一掃とする。
自然に立ち向かう力など一切ない。
あなたが私が思うも僅かで、無知の無数(汚い有り様)に及ばず仕方ないものである。
目障りになるもやもやしたものは、砕かれて潰されてまっさらになる。
目に見えるものの有り様である。
ただ‘是’であるゆえに。