つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

成仏となるに

2023-08-31 | Weblog
消えゆくろうそくの火は、寸前大きく燃え盛る。
して、パタリと消える。
今、恐ろしく弱者を虐める世の中の風潮は、あたかも消えゆくろうそくの火のように映る。
何でもかんでも行う権力の強引さは目に余る。
権力を駆使する立場にあるものは、それ故に、頭が良すぎて、気違いとの紙一重、「わざと」という行いをする。
初心は志もよかったであろうに、慾にまみれてやがて灰皿の如し、たまればたまるほど汚らしくなっていく。
ここで、一度汚物として捨てられる運命にある。
金融制度が当たり前として、他に考える余地もなく、ただただ金もうけに走る世の中は、必然改められる。
大昔ならいざ知らず、もう貴方は物づくりができる。儲けに頼ることはない。
ある程度の物作りは適う。技術の進歩は、儲けに頼るとそこまでで、それ以上はなかなか進まない。
とくに、原子を扱う微細(量子)にあるものを使いこなすのに劫の時間を要する。神の領域にある事を為すには、
あなた方は兎にも角にも若すぎる。それなのに傲慢になって扱う事は、命取りとなる。それも、魂の云々に達しないうちに
命果てるために、何億年という歳月を輪廻として担う。幾度生まれ変わっても、修羅の中に生死する。
そのためあるものは餓鬼のまま、ある者は畜生に変わり、その姿人にして人に非ず、三藐となる。
三藐とは、想行識による悪魔の世界のことである。
常に争いの中にあって地獄の様相を呈す。
だから、人生、慾に囚われず、愛に生きることを覚る。ただ生まれた使命の性を知り、
なぜ、私はその(仕事)を好きなのかという性質を探求して、格の向上に努め、愛を磨く。
愛は、ただ与えてただ去るを基として与り知ったとき、称賛という希望に達する。
その使命に誇り、与えられる喜びを最大として達人となる。
欲望などと言う事は微塵もない。愛は無償にして愛という。
全ての(仕事)にあるものは、使命として愛をこめて、どれもこれも無償にて行う。
それがかけがえのない誇りとなり称賛に繋がる。
いずれ肉体の無くなる時を迎えて、すべて永遠の清浄願の世界の魂となる。
極楽浄土、成仏となる。
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貴方の縁の起

2023-08-29 | Weblog
今までに経験しなかったことが次々と繰り広げられている。
まさかの坂は幾度となく見せられて、世も末と嘆くが、まだまだ
「えっ、そんなことが、まさか起こるとは」と驚愕するばかり。
慣れというのは恐ろしいもので、「まさか」も「またかよ」と
さりげなく流されていく。まさに世も末の断末魔にある。
超高層ビルの立ち並ぶ地区は、もともと埋め立てられたところ。
人工的土盛りはとてつもなく脆弱。瞬く間に液状化する。

さて、近年、地震は多発、歴史の中で、ある周期をもって起こる。
大陸が移動(変化)しないと思う意識は、あまりに平和ボケ。
その昔、ここは〇〇であった、と未来人は語る。
近代化の残骸は、いつの世にか、オーパーツとして、掘り当てられてくる。
人の歴史というものは、とても浅はかなものである。
死ぬ者と生き残る者、それも縁起の法則によることである。
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不思議とする

2023-08-28 | Weblog
量子物理学、
不可思議にあるが、
不思議と思えば不思議になる。
自身が思う事に対して、相手の思いが確定する。
自身に自信がなければ、その確定は定かではなくなる。
だから、自身に自信を持つことである。それもプラス思考をもって、つまり、
前向きな姿勢をとることに確立する。
自分を愛し信じることは他も同等となる。
時として、マイナス思考は、自身の踏み台として活用すればよい。
現実は常に前向きにあり、不可逆である。
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自然に生きること

2023-08-27 | Weblog
この世は円運動の法則にあり、縁を起点にして繋がっていく。
縁起の法則でもある。そして、浄化の法則でもある。
あらゆるものが浄化された姿で存在するために、自然は美しい。
回る変化は、時に垢が付き美しさを害うが、時に濯がれて浄さを保つ。
だから、自然は、自ら然りとして美しくある。何かに依存することはない。
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灯台下暗し

2023-08-27 | Weblog
この宇宙の法則は意識エネルギー、在るとするエネルギーである。
そのエネルギーは円運動の自由となっている。そのために、くるくると巡り、そのための
時間と空間が作られている。めぐる動きがないところには、時間も空間も存在しない。変化がないためである。
円運動は、始まりと終わりが同時にあるために、永遠の存在となっている。
地上の一日という時間を見れば分かるだろう。夜が来て朝が来てと繋がっていく。
一日として夜の来ない朝は無く、朝の来ない夜は無い。
全てがある周期をもって一旦という区切りで、まったく同じにありながら、まったく違う時間の流れで回る。
昨日と今日は同じでありながら、昨日と今日は違うのである。それをどのように応変に思考できるかで、
自身の世界が繰り広げられる。貴方が見ている世界と、私が見ている世界は同じにして違うのであるが、同じなのである。
違いは思考の差に由って現れているだけであるが、その差にも様々がある。
この世を天国とする人もあれば、地獄とする人もある。何分にも相対性にあるための存在であるために、同等にあるのだが、
大まかにして8対2の割合で存在する。その割合の釣り合うところはコンマ(点)をもってゼロに似て動く。
「僅か」という値は大衆にして大きく影響を持つ。
侮ってはいけない。
概ね、あなたの目に見えない(僅かな)ものが大きなものを凌駕する。
ゼロ(0)をないがしろにしてはいけない。その陰に虚の現実が虚空のようにある。
鏡と鏡を合わせた時の繋がりは、貴方の範囲を写しているが、見えなくもつながりは甚だしくある。
そしてそれを甚だ面白くと見るか、諦かとするかは自由である。
諦かとして見て、その答えは、始まりと終わりの同時にすでにあり、貴方はそれを見ていたに過ぎない。
灯台は下が暗くある。そしてそれは、貴方の意識にいつまでも無くならない
意識の変格は大変大事である。
正格(規則正しい)⇔変格(正格とは認められない様式)
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道の徳(翅をつける)

2023-08-26 | Weblog
遠い昔の地球上は、大陸が動いて今ある状態には無い。
今ある日本という国の形もない。
ある周期をもって大陸は動いている。
変化は地震という形で現れてきた。
溶岩の上に浮いた形での大陸であるために、知的生命体は、敢えてそこに居住したいとは思わない。
地殻変動は、生物の絶滅と、新たなる再生とを繰り返すために、下等な生き物としての存在となる。
どんなに精神的に生きても、この周期の変化には耐えることができない。耐えられるまでになる能力を得られないうちに、
滅んでしまうためである。もし人類が、自然の変化、宇宙の変化の周期に耐えられ、生物としての存続が叶うためには、
地球時間でいえば、何兆年もかかると思われる。
人類という生命エネルギーに滅亡(死)はないために、
劫の時間を要しながら、物理的輪廻をもって、生まれ変わりのない精神生命の智者となる。その時、時空を超えて、ただまったりとそこにある存在となる。

夜空を仰げば、夏には夏の夜空が、冬には冬の夜空が煌めき、その瞬きは、いつも同じところにある。
が、地球がある太陽系も太陽系がある天の川銀河も、時速数千キロ、或いは数十万キロ、或いは数百万キロという高速で移動している。
人類がいる銀河団も600万年ほどの時の流れで元の位置に戻ってくる。宇宙全体が円運動という法則で動いているために、そこに存在している
生命は、同化しているために動いていないように感じられるだけである。
同化というのは同じく化けると書いている。おなじになるために、変化に気が付かなくなって分からなくなる。
精神生命エネルギーは、意識にしてこれを覚らねばならない。吾が心を覚れば称賛に与り、
拡大もなく縮小もなく、ただまったりとそこに在るエネルギーに還る。それが称賛に値する自由(自らに由る)エネルギーである。
何事もない、が安寧である。幸福である。これを求めるのが自由エネルギー、フリーエネルギーである。無償である。
ただ与えてただ去るエネルギーである。他に依存することもないので自由という。
さて、このエネルギーの法則に学べば、道の理の知識を智恵に換えて、徳と成す。
ここに、【為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり】(上杉鷹山)とある。
観世音という文字の意味を知り、観自在という文字の意味を知り、その力を得た者は、神にも通じる力(神通力)を成し、
空中に漂う太陽の様に、悪には破壊を、善には創造を与えて存続する。
意識が羽(翼)となって自由自在に空中を舞う。留まることができる。もう這いつくばることはない。


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自省心

2023-08-25 | Weblog
戦後まもなく生まれた人たちの苦渋はいくばくだったか。
意識の成長を図り、これからはその苦渋に満ちた生活から
解き放たれる時を迎える。まず一生涯の苦渋に満ちた生活であったろうに、
ほんの少しの死に間際に、これからに、希望を託せる日々を見る。
我が子に置き換えて、若さ故への憂いを安堵に換えて、安寧とする。
彼らが、互いを思いやる心を保ち続けるなら、競い争う事から離れて、
ただ一途に心のこもったモノ作りに励むなら、称賛としてお金に振り回されることは無くなるものである。
とてつもない意識の変化だと思われるが、時代の趨勢はそれを求めるだろう。
意識の変格は、変革を求めて正格とする。
ただただ今の世を起点として、改められる時世である。
本当の意味の民主主義のご時世である。

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具わる技量

2023-08-24 | Weblog
権威は権力の上にある。
権力はこの権威に威圧される。
新旧は必然交代にあり、ようやくまともな奴が現れる。
偽力は風前の灯火、風の前の塵に同じ。
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時代の趨勢は

2023-08-23 | Weblog
間違った指導者を選んだ罪は大きい。そのため、社会は生き苦しくなっている報いを受けている。
政治家が金持ちである社会は明らかに間違った社会。
税金に群がり、利益を得ようとする利己的人達の集まりは、だから、選挙でのお願いは、
自分たちの生活の安定だけを願ってのお願いである。そのため、民衆はひどく貧しくなる一方。
コロナウイルスというプランデミック(計画された感染爆発)事件を見ても、その対策は不可解な事ばかり。
陰謀論ではないのだが、人工削減の為とうわさされても仕方が無いほどお粗末である。今現在を見ても
ただ不安と恐怖に陥れただけとしか思えない。悪意をもって公共電波を使う手法は、洗脳教育には甚だ効果てきめんである。
凡そ民衆というものは、定見がなく日和見主義であるために、よく騙されやすい。
「政府は嘘をつかない」本来あるべき姿であるが、、我が国の戦時中の報道を見ても、政府に不利となる報道はしなかった。
負けていても、空に敵の飛行機が飛んでいても、我が国は勝っているとして民衆を煽り、原始的な方法をもって抵抗していた。
多くの民衆を犠牲にして、政治は進んでいたのである。その悪しき習慣は断つべきであるのだが、人の悲しき性は、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、かくもまた戦火に身を投じようとしている状況がうかがえる。
さて、貴方の意識は、この狂った社会?からはなれて、強者が弱者を守る社会を見なければならない。
本来皆がそう思っているとするなら、ごく一部の悪意ある意識に洗脳されてはいけない。大衆迎合(ポピュリズム)の傾きは如何や?
歪なものはまた、好く着飾り振舞麗しくして、穏やかに語り掛けてくる。そのしぐさに惑わされて、見た目の重視に騙される。
世の中は、甘い言葉と暗い道、悪いことは為しやすく、善いことは為しがたいにあり、
悪いことはあっという間に広がり、善いことはなかなか広まらないにある。不思議な事であるが真実である。
惑い迷わされないために、
自身が性善にあるとするなら、よく真実を見極められるものである。だから、胸に手を当て、
自身を知りなさい。そうすれば、自身の問いに、答えは諦かに見えてきますから。
自身が汚れにあるのなら、答えは定まることはない。
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気を付けて‼生きる

2023-08-20 | Weblog
寿命が近づけば物への執着も薄れてくる。
あれが欲しい、これが欲しい、それもこれも皆欲しい、と欲が張るのは
まだまだ若い証拠。と言っても、
肉体という物理の制約の中での老いと、精神的に若くあるという事の隙間(ギャップ)、食い違いは
容易に妥協できないでいる自身の愚かさである。
兎にも角にもあなた方は、100年弱のリサイクル運命にあり、それ以上は望めない。
頻繁にリサイクル(周期の巡り)されたのでは、精神向上にはとてつもなく劫の時間を要する。
どれほどの輪廻が必要か?もっとも、精神的魂には時間は無いために、この世とあの世の行き来は、
常に瞬時となっているが、あの世の空間は記憶の作られない世界である。どんなに長い間そこにとどまっていても、
虚しいだけである。空虚というところには進展はない。つまり、変化はない。
自身の生前の精神的魂の気づきによって稀に縁起となり、この世に生じてきたとしても、
あの世でリサイクルされた記憶の回復は難しい。
自身は好みとか得意不得意は忘れているが、
魂の連綿とある記憶の中に思い出される。生まれながらにしての才能は、魂の思い出しである。
「気づき」というのは無知を破ることにある。だから、
ともかく、「気を付けて」生きることである。とても大事である。
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