つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

業をつくれば果報を受ける

2012-02-26 | Weblog
♪顔や姿にゃ惚れないが男らしさにゃしびれちゃう・・・♪こんな歌があった。
見かけが不細工、鈍くさくとも男気のある人には惚れてしまう。人というのは
心の美しさが何より美しい。それはとても甘美で、誰でも惹かれてしまう、憧れである。
そんな優れた心の持ち主がなかなかいない。
目移りの好い衣で覆われた人は数多くあれ、
化生の人ばかりである。
見栄えある言葉で、ただ見かけを装うばかりのそんなこんなが氾濫していて、大勢であるけれども
孤独である。ただひとり、あなたも私もと取り残されて死と隣り合う。
淋しいと身体が震えて叫ぶのだが、化生の人には聞こえない。
今日もまた、重い命が軽く消えうせていく。化粧の言葉を聞きながら。
寂しく炎がひとたび強く燃え、尽きる。あそこでもここでも、常に憂える人の。
来世は幸せでありますようにと、無明にして願う。・・も、無明そのままにして、
悲しみは悲しいままで明け暮れる。だから、
楽の種を蒔いて死ね。男気と名付けられた楽種を。
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心経、身に備えて

2012-02-25 | Weblog
どうぞ、くれぐれも般若心経を正しく解してくださらんことを願う。
心経の文字にさまたげられることなく、自由をもって智慧の判断とし、
都合よくして衆生の益となす。それが心経のもつ功徳である。
無知を破るものである。
最高、最速、最強の盾であり矛でもある。
心経、身に備えて安心を得る。
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すぎるということは

2012-02-23 | Weblog
美しすぎる・・とすれば
みにくくなる。
好いとすることも
度を過ぎればそこなうものとなる。
節度はわきまえなければならない。
何事も
過ぎたるは及ばざるが如しであるが、
また、その善悪、
過ぎてから報いて現れる。

過ぎてしまえば
みな
うつくしい!よいことは!
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そのために・・

2012-02-22 | Weblog
そのために、智慧で得た経験の世界がなくならないから、
思い違いとなっている想、行、識が正されて菩提となっていく。
三世代も続く仏の世界となっていく。それゆえに、苦悩する大衆に知らしめていった。
これこそが神の呪であり、菩薩の呪である。この上ない呪であり、他に比べるもののない呪である。
一切いの苦を除くものであり、真実にして嘘のないものである。故に、心経を呪とし説かれた。
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受の世界!

2012-02-21 | Weblog
私達は、外部からの刺激を受けて生きている。
その刺激に反応して想、行、識の世界がつくられている。
そのために、この世は、受想行識の世界である。
この世とあの世は少しも変わることがなく、あの世もこの世と少しも変わらない。
この世が即法則によってあの世となり、あの世も即法則によってこの世となる。
想行識もまた同じである。
是が諸々の法則であり、あの世は生滅が無く、浄も穢いも無く感情の動くことが無い。増えたり減ったりすることもない変化の無い世界である。
あの世となっても、この世でのすべてが無くなることが無い。この世での想いと経験と知識が無くなることが無い。目、耳、鼻、舌、身の行為も、その感触も無くなることが無い。
無明も無くなることが無い。無明が尽きてしまうことも無い。老いて死ぬこともなくなら無い。老いて死ぬことが尽きてしまうことも無い。
苦の集滅道もなくならない。智慧も無くなることがなく、智慧の経験の世界も無くなることがない。そのために・・・。
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降臨

2012-02-19 | Weblog
善いものが降りてくれば、怒涛の如く邁進する。
己が能力というのではなく、道理の精である。
己が心根の善にしたがう理である。
懸命に心を配り、大事にみがかれたものには、
精が揺り起こされ目覚める。それは、
献身する愛を受けて、恩として返される。
その恩恵は、達人の業となり完璧である。
ある日、目覚めてカリスマとなるも、他力にほかならない。
善根の絆である。
謙虚であればこそ、長く根付いてそのものとなる。
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降臨

2012-02-19 | Weblog
善いものが降りてくれば、怒涛の如く邁進する。
己が能力というのではなく、道理の精である。
己が心根の善にしたがう理である。
懸命に心を配り、大事にみがかれたものには、
精が揺り起こされ目覚める。それは、
献身する愛を受けて、恩として返される。
その恩恵は、達人の業となり完璧である。
ある日、目覚めてカリスマとなるも、他力にほかならない。
善根の絆である。
謙虚であればこそ、長く根付いてそのものとなる。
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よいこと!

2012-02-17 | Weblog
何もしないでいれば変わらないというのではない。
何もしないでいれば、
人は汚れる。人も腐る。死んだ(動かない)ものが腐っていくように。
歯を磨き顔を洗い身体を洗う。こうあるべきと動いて心が磨かれる。
垢が取れ、汚れが落ちる。すれば、よくよい香りを放つ。
みがくということで、人として生きている。
動くということは、みがく、みがかれるということである。それは、浄化ということである。それは善いことである。
ゆえに、怠ることなく精進努力しなさいといわれる。
そうしなければ、垢がつき汚れていく一方となるためである。
汚れていけば悪臭となり、周りも汚す。よいことなど少しも起こらない。
時が少しも休まずに進んでいるように、
身体が少しも休まずに動いているように、
動いていることによって生がある。
動いていることが道理であり、その理に適い育まれていく。
だから、だから、怠ることなくを奨励する。
時に疲れがないように、心臓に疲れが無いように、
本来、動きに疲れは無い。心にも無い。
進化は浄化であり、元に戻ることである。すなわち、ゼロになり、いわゆる浄化されて再びとなり、混沌となって、
秩序となっていく。善いことという道理である。だから、
怠ってはならない。善いこと、つまりは、
動くということは、よいことである。
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顛倒

2012-02-16 | Weblog
経済的に行き詰まれば、
親でも殺し、子供でも殺す人もいる。
吾が身の可愛さ至極の果てに、浅ましさこの上なくまさり、
その姿、藐藐として映る。醜くあり悪魔の姿である。
吾が身第一であればこそ、他人の身、吾が身に置き換え、喜怒哀楽を知り、
殺してはならない、殺させてもならない。
吾が身第一であるからこそ、先ず他人の身案ずる。
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思いがけないこと

2012-02-15 | Weblog
先のことはわからない。わからないことに不安を抱き、
くよくよしても好いことは無い。
備えあれば憂いなしというのはそういうことのためではない。
わからないことには対処しようが無い。山をかけて、こうしておこうと
準備しても徒労に終わる。
先は常に不定である。進む時間は未知数に満たされている。
そのために、出会う時間に精一杯生きているだけでよい。
ただただ今を懸命に生きていれば、道は開かれていくものとなっている。
既知数となって巡ってくる。
善い人も悪い目に遭ったりもするのが世の中である。が、
善い人にはそれも糧となり、大事に至らぬ防御となってしまう。
健康を気にすれば、健康を気にすることが絶対となり、健康でいられなくなってしまう。
病気を気にすれば、病気が絶対となり、病気から離れられなくなってしまう。
安泰である為には、気に掛けないことである。
思いがけないよいこととなる。
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