つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

求不得苦

2009-04-30 | Weblog
死にたいと思っている人が
なかなか死ねないでいるのに、
死にたくないと思っている人が
けっこう死んでしまう。
人の世というのは
思いと裏腹に、
ままなくある。
不条理なことばかり際立ってきて、
世も末だと、わがままならぬ身を案じて、ゆえに、
神に仏にと人智を超えたものを必要とする。
救われているものには、神仏は必要ないものを・・・
神仏に縋るこの世界はひとつの地獄の世界
そこにいる私は誰の思いのままの命
悪魔か天使か・・
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思考の姿

2009-04-29 | Weblog
眠ると夢という世界が現れる。
目覚めて見ることの無い世界だけれど、
誰もが見て知っている。
時間も空間も持たない心の姿を持ってのみ訪れることのできる世界。
あの世と同じ思考の姿のせかい。
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光はある

2009-04-28 | Weblog
今生に善行を為すことによって、
来世に良い処に生まれるとしたなら、
今、生きている身が苦しく辛いのであれば、
前世に於いて、あまり良いことを為さなかったことになる。
人から哀れまれ、恵まれない環境にいる人は、悪人とは言わないまでも、
それに類似していた人とわかってしまう。
「悪い」に属してきたから、今がめぐまれないのだ、仕方ないことなのだと
誰も労わってはくれない。
    そんなことがあるはずはない。
今が幸せな人たちは、恵まれている人たちは
一様に善人だったということがあるはずもない。
善行善果、悪行悪果は確かであるけど、不定でもある。
前世に、今生に、来世に於いて
為しえた行為は受け継がれるのではあるけれど、いつでも
条件によって変わる。良くも悪くも。
じわりじわりと、また、瞬時にと・・・。
だから、今が云々といってもわからない。
しあわせにはいつでもなれる。自分しだいで。
なりにくいのも自分しだいで

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子供のように

2009-04-27 | Weblog
お金が無くて満足に教育を受けられない。
そのために、知識の乏しい人となっている。
ある日、物乞いをしていると、宣教師に出会い愛しみの話を聞いた。
ある日は、僧に出会い慈悲深い話を聞いた。
共に慈しみを受けた。
知識が乏しいために、何の疑いも無く、その話を信じ、自分も
それに沿って生きた。まるで疑いを知らない子供のように素直に・・・。
善い人に出会い、知識の貧しい人であったために、幸いとなった。
「貧しき者よ、汝等は幸いである」・・ふとこんな一説が脳裏に浮かんだ。また、
「信じるものは救われる」と。
善い人に出会う。人生の要。



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生きること

2009-04-26 | Weblog
これといって悪いところもなく、
これといって追い詰められる悩みもなく、
これといって貧しいわけでもなく、
ほどほどに今を満足と思えるのなら、
長生きもいいのかもしれない。
身内に心を配り、適度に緊張のときもあり、
ささやかな楽しみがあり、望みがあり、笑みが多く、
誰かの助けとなりながら、人に望まれて
寛大であり、行って悔やむことがない。
ああ~まだまだ生きていたい。少しでも長く生きていたい。
このうちにあって、長生きはいいものだ。
無常にも、この身は死を絶対の条件としてのみ、
うたかたという光の矢をもって存在する。
この人には、死は恐怖となって訪れる。
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かごの中に畜わるるをもとめず

2009-04-25 | Weblog
「すべての隷属は苦である」
自己的で、思いやりのない人たちといっしょにいることはとても辛い。
皆生きることに精一杯なのはわかるけど、だからとて、
わが身にひきあてられない人は悲しい。
物資の豊かさを求めて際限なく欲が起き上がり、みあって心の貧しさが際立つ。
いつの世も籠の鳥は悲しい。
その不自由をすてて、籠を抜け出せば、餌をとることをしらない身は、以来
あまり食べられなくなった。でも、のびのび飛びまわれた。
「すべての主体が我なるは楽である」
真に他人に従属するのは苦しいものだ。
愛のある人といることは実に楽しい。
愛のない人が増えている。というよりも、自己執着しすぎる人。
そんな世の中にあって長生きも苦しい。
死はだれにも訪れるが、そんななかにあって、苦しみ辛い人には
死は癒しとなる。
わが身にひきあてられる人、愛ある人の死は
希望に満ちた生命の依りどころ。
愛に気づき思いやれる人は、死後に、来世に喜ぶものだ。と・・。
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