つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

老いぼれになるな

2013-08-31 | Weblog
体が年老いてきて動作が緩慢になるが、
心は老いないために、心と体との食い違いに驚く。
ままならないことをしみじみあじわう。
そうして老年になる。
老人になれば老巧でなければならない。が、
老人であっても稚拙な人が多い。
そういう人はただの老いぼれといわれる。
老いぼれては老衰で亡くならず、不意となる。
天寿全う老衰となれば、死は恐怖となることも無い。
自然采配というのはよくしたものである。
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選りすぐりでも

2013-08-30 | Weblog
これがよいとして
ある成分だけを取り出して活用しても、
うまく成果は上がらない。
個々にあるものは、各々持ちつ持たれつで活きている。
そのため、選出されたものだけで突出して役立つと、
弱点となって反動ともなる。
あるものに優れたものが僅かであるのは、
偏らないための方便。
方便は一時で効果となるも、
続けては乱れる。

濃厚は一時にして、
まんべんなく散らばってその果を成してある。
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反復

2013-08-29 | Weblog
コツをつかむ。
コツは知識ではなく知恵である。
知恵は経験によってなされる。

コツを覚えろ。
それは、
智慧でしかつかめない。
知識は頭である。智慧は心である。
心は頭を使える。
この順序が違えばコツはつかめない。
心を込めろ。すれば、道は開かれる。
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賢明

2013-08-28 | Weblog
一寸の虫にも五分の魂、
彼らもまた懸命に生きている。
ただおぞましき姿として捉えても、
自分の好き嫌いで命を奪ってはいけない。
ただ見逃してやればそれでよい。或は、
危害を加えることなく追い払えばよいだけのこと。
生きているもの皆それぞれ懸命である。
懸命に生きているのだから、賢明で生きなければならない。
共存の場としてあり、誰の束縛にあるものではない、自由という賢明にあるものである。

それは共栄であり、持ちつ持たれつで生きていられるものである。
きたないとするものも、嫌がられるためにだけあるわけではない。
ただ互いに過剰に触れ合わず、それなりをもって有益という為となっている。
過剰に反応しては相合害するだけである。
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知足

2013-08-27 | Weblog
修行僧として究め、人生の悲哀を思えば、
達観するほど質素を好み庵を好む。
僅かながらを良しとして暮す。
足るを知る者は富むを覚える。
吾唯知足。

是を知る者、人里離れて物静かに唯ひっそりと暮らす。
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体たらく

2013-08-26 | Weblog
日本の仏教は葬式仏教といわれ、金権主義となって蔑まれている。
その坊主たるやサラリーマン坊主、金で動く。
金にならないと
地獄の沙汰も金次第とあるまじきことを平気で説く。
その説教、金、金、金と欲深いことしきり。
妻帯に甘んじ、酒も嗜む。
死んだ者がどこへどのようにして導かれ、成仏するのか遺族に説くこともせず、
経の意味そのものを理解することも無く、宗派としての読経として事を済ます。

戒名?何のために死後の名をつけるのか、その意味が分からない。
もっともらしく「戒名とは」を語るが、とんと矛盾に満ちて説く。
金を積めば院号が与えられて、はなはだ罰当たりなことを平気で語る。
葬式仏教、サラリーマン仏教、そんな金まみれの坊主、
仏の道を歩めど間違って説くものは、地獄をさらなる地獄とす。
人を迷わすもの、坊主といえども地獄に引きずり落とされる、と
仏は言われた。
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雑談

2013-08-25 | Weblog
死ぬということは、
肉体が使い物にならなくなるために、
魂が、どうしてもそこから抜け出さなければならないだけで、
魂と呼ばれる生命エネルギー自体が無くなってしまうということではない。
生命エネルギーは、エネルギーの法則である円運動によって作られているために、
無くなるということが無いものとなっている。
円運動に由る変化が無常といい、時間と空間とを作っている。
変化のないところには、時間も空間も無い。
時間も空間も無いというのはどういうところかといえば、
例えば、
夢の世界である。
夢の世界には、時間も空間も無い為に、瞬時に場面が入れ替わっても、また、その間の大きさもまちまちである。
それとて、あれっ?と思うことも無く、また、どんなに長い間夢を見てても、退屈になるということは無い。
瞬時、大人になったり子供になったり、近遠距離無いものである。それでいて、現在であり過去未来まで想像される。
記憶という現象の世界、エネルギーである。
エネルギーの法則によって生み出されたものであるために、肉体は片時も止まることなく動いている。
わが意識によらずとも、規則正しくそのリズムを刻んでいく。
それは法が円運動であり、無くなることのない動きとなっているためである。
円運動であるために、一旦元に戻り繋がっていく。
それが、様々なものの律動をそれぞれに見合って作られている。
凡そ人の肉体は20億回ほどの心臓の鼓動で終息する。心臓が絶え間なく動いていても、
疲れというのが感じないのは、もともと法則には疲れというものがないためである。
だから、肉体そのものにも疲労というのは無いものである。真に疲労となればそれは、休息しても治らない。
回復はしないものである。疲労した部分そのものを取り換えてしまわない限り直らない。
それが、休息して使わないでいれば回復してくるのは、ただ単にエネルギー不足となって、動けなくなるためである。
肉体のエネルギー不足は食料で補われ、肉体を動かす心は眠ることによって補われる。動かないでじっとしていればエネルギーが充足していくのである。
だから、眠りにつき
朝になればまた、いつも通りに活動できていく。それが一日として一旦元に戻りゼロとなって再び動く人のリズムである。
リズムは、小さなものから大きなものまで長短重なっている。・・すべてがエネルギーの円運動によるものである。

法則は不増不減となっている。そのため、あったものが無くなるというのは、そのものが変化していっただけのことで、
形が変わってどこかに在しているのである。
例えば、細胞が分裂して増えていくように、あるいは、菌と呼ばれる目に見えない存在が、急速に分裂して増えていくように、
一つが二つになり三つに四つにとなっていくが、ある一定増えれば、また減っていき元に戻っていく。
どこへいったかといえば、どこへいったというわけでもない。かといって、どこへもいかなかったということでもない。
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余徳

2013-08-24 | Weblog
「学ぶ」として、
人の教育で最も大事なのは道徳である。
道徳を学ばずして教育とは言えない。
道徳をしっかり学んだ者は、すなわち道理が味方する。
どんな時でも道理によく守られる。そのため、
不思議なことになるために、何でも、
案ずるより産むが易しとなる。
道の理に学べば徳となるのである。
終にも、何ら不安となることがなく、むしろ希望となる。

頭が良いというのは道徳に機転がきくことである。
よく勉強ができたということとは、何ら意味が無いものである。

よく道徳を行う人は、よく道理に守られるのである。
それは、よく行っていた人、行っている人でなければわからないことである。



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天命

2013-08-22 | Weblog
寿命がある。天寿全うして正しい運命である。
この世は一切皆苦であると仏は伝える。
それゆえに耐え忍んで運命である。
耐え難きとして天命に背き、
自らあの世へ急いで逝けば、その
無理は通らず、思いに反してさらなる苦しい世界が待つ。
縁起が法である。
わからないとする界隈は不安である。だから、怖い。
恐怖のある思い入れは、何一つ安楽は無い。それ故、
ただただ地獄である。苦しくて逃げた世界は、倍苦しくなる。
俗世、人の世ではわからないために、思い余って狂気に転じ、
ただ地獄に落ちていく。

坊主として仏の道を歩むものながら、金満欲深寺に暮らせば、
あるまじきものとして罪深く、地獄の底に落ちていく。
運命も甚だ間違えば恐ろしい。
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物欲

2013-08-21 | Weblog
どんなに大切なものであっても
あの世へは持っていかれない。
だから、人生、
自分のものというのは何一つないと知れてくる。
「これは私のもの」として生きる人生に、
そして、執着して生きることには
何らよいとすることは一つもない。

施す、つまり、与えるということは
幸せになる本。
貧しいとするのは心のあり方。
損得でもって生きては損だけ。
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