つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

魔が差して眩む人

2024-06-16 | Weblog
東京都庁、伏魔殿と揶揄した人が今では伏魔殿と言われている。
ある権力を得て、その立場になれば権力の魅力に惹かれて眩む。
魔というのは差す。
特に、見かけ煌びやかにして在る人。見せかけである。
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自由気ままは秩序にある

2024-06-16 | Weblog
お金に縛られた社会は、愛を失い、殺伐とした環境を作り上げる。
私達は、
地球人としての宇宙の中の一員である。他の星にも生命はいる。地球人よりもはるかに優れ、劫の時をもって生まれた生命は、それこそ先生と言われる存在である。先に生まれればそれだけ多くの経験を積み、知識を身につける。その知識を基に、智恵を得て道理を得る。すれば道徳となりよく守られる。
宇宙もまた地球と同じように対にしてある。それは、一つの中に二つあるものと、また別々にあるとする対である。
先に生まれるものと後に生まれるものとは、差があるようにして差はない。前は後ろであり、後ろは前である。過去は前にあった時、未来は後にある時、として
意識するために、過去にも未来にもいくことはできずに、今として認識する。
この心の働きが不足を生む。「今」は未来も過去も含んでいる。そう想像して、
自由を描く。難題と思い込むことに難解となる。
想念は、人の経験によって統一された記憶であり生命である。経験が誤っていれば誤った記憶となり誤った生命となる。生命の欠陥である。
生命に欠陥があれば、機能不全となって正しい浄化の行為とならず、
不意になっていく。
こうすればこうなるとする道理に学んで、想像する念いは現象となる。
道徳である。その道の徳となるのである。
生命エネルギーの現象は、生命の世界を創る。
存在のエネルギーは、善悪は無いための絶対善の運動である。これが正義である。存在のエネルギーの正しい義(意味)である。秩序である。
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我欲の果て

2024-06-16 | Weblog
世の中の公たる動きを見て、三つの時間線が現れている。
一つに好く変わるための時間線、もう一つに紆余曲折にして、結局変わらないとする時間線、あと一つに、どう転んでも、良くも悪くもゼロになるという時間線である。この最後の時間線は、2032年から実行され、地上は生命のいない荒涼たる景色となっている。今から8年後である。それまでに、一つの好ましい時間線は確かにあり、地上の楽園状態として映る。紆余曲折にして混沌たる時間線は、大衆の絶望に由って無理とした世界、疲れ切って投げ出してしまった結果の顛末、洗脳教育に侵された、鎖に繋がれた犬でよいとした下僕の世界、
この疲弊した思考に導かれ、結局ゼロに辿り着く時間線となって、一旦綺麗になる。何もかも。
隷属は、従っていれば楽とする欲心に絡み、優しく囁く。自ら考えることをしなくなった自業自得。甘い言葉と暗い道。依存の心は、「絶対儲かるから」に騙される。人の心邪心にあり、真に儲け話は他人には話さない。慾というのは斯くも人を惑わす。惑わされ迷い、して間違う。慾には好い欲というのは一つもない。我欲と言って悪魔の思いにある。
与えられた今を「責」として、普通としせめてはならない。
この世に絶対はない。全て対である。そして終になる。世の中は。
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