つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

好い方向性

2016-06-30 | Weblog
なんにしても
心を込めてあたることである。
無機にしても有機にしても精を宿すものである。
だから、誠意をもってあたっていれば、
好い刺激がかえってくる。
不思議なことになる。
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万物の法則

2016-06-29 | Weblog
終わりなき世である。
明日というのは絶対である。
それは、
私がいるとかいないとかに関わることなくである。
永遠となっているものであるのは、
宇宙が円運動の法則となっているためである。
諸々に於いて通じているものである。
例外というのはない。
そのために、
自分という生命も永遠である。
ただ、一日に始まりと終わりがあるように、そして、
それが繰り返しとして繋がっている様に、
同じ一日でありながら違う一日であるように、
自分という生命も同様である。
諸々が円運動の法則となっているものである。
その円運動によって存在している諸々であるために、
諸々が変化の中にありながら、永遠なる存在となっているものである。

各々の諸々は、各々の性質(周期)にあり、長短となっているが、
大小にして同じ長さとなっているもので、平等である。
偏りというのはない。
短命も長命も、寿命にして同じ長さ、平等なのである。
違いを感じるのは、
すべて、外部より受ける刺激に対して、どのように対応したか、できたかによってである。
しかしながら、あらゆる理は、各々に対して平等である。
大小も長短も無いものである。
結局のところは、すべて同等なのである。
そのなかでの、各々の感じ方なのである。
各々の刺激に対しての、‘対応の仕方によっての違い’というものである。

おそらく万人いて、何人が知る者であるのか?
水晶、或は、ダイヤ、或は金、銀、他希少な物があるように、
極めて少数である。
だから、価値があり、力があるものである。
そして、それらも
垢がつき曇ってあるものである。
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苦の群像

2016-06-28 | Weblog
銀行という金融機関が社会を牛耳っている。
金融システムというのは悪である。
奴隷制度の最たる仕組みである。

すべての隷属は苦であると仏は説く。

現代社会、隷属せず暮らしてはいけない。
故に、この世は生き苦しい。
善い人ばかりではないためである。
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自身の世界

2016-06-27 | Weblog
大衆に迎合していては悟ることはできない。
自分というものを覚るには、
外部からの刺激に対して敏感にあらねばならない。
この世は「受」の世界であることに気が付くことである。
想行識が、外部からの刺激に対応して作られるものである為に、
受想行識といい、この想行識が、人が死んでもそのままあの世となっていくとして、
「亦復如是」と説かれている。
肉体と同様、輪廻するのである。
意によって為された判断の行為が、六道を流転するのである。
だから、この世の人生、
刺激に対して正しく対応してこそ、
天界への縁をつくれるものである。
誤った対応をして人生を終えれば、
地獄界への縁となり、地獄へ落ちることとなるのである。
単純なことである。
相対している世界である。
他人がどうのこうのではない。
自分自身の判断で生きている世界である。
二つに一つ、どちらかである。
曖昧というのは、あの世にはない。
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変哲も無い者

2016-06-26 | Weblog
人と同じことを思い同じことをする。
それで、自分の立ち位置を計り安心する。
大衆に迎合することで普通として際立ちを避ける。
それでいて、他人とは違うものとしての拘りを持つ。

何のとりえもないとする路傍の石のようである。

誰も寄り付かないようなとする存在に、希望はくっついている。
悪をもって善を知り、善にして悪を知るように、
拮抗してあるのが世の中である。

凡そは、
泡沫にして、記憶にもとどまらないものである。
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時の眼差し

2016-06-25 | Weblog
時代の目という観察をしていれば、
進化はなかなか捉えることができない。
時の前後の流れという見方をしなければ、
未来という映像は見えてこないし、見えたにしても
絵にかいた餅のままである。
今というこの時の流れは、常に流動的であり、
だから、幻の如くにある。
それは、つかみどころのない夢の世界の映像と同じである。
何ら現実と変わらない映し画である為に、
進化を見ることはできない。
時の流れに長短を感じるように、
流れの中に一呼吸置きながら流れていれば、
不思議なことに、進化の映像がかいま見れるものである。
それは、心が脳をのぞきこむ感覚である。
斬新さは、嘘のように見える。
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オンリーワンの花・華

2016-06-23 | Weblog
自らの経験によって、
良いか悪いかを選り分けた知の識、
その識別された知が智恵である。
その人特有のコツともいうべき感覚、感受である。
だから、人、同じにして各々違うものでもある。
各々である為に、優劣という差を持っているが、
諸々、諸所に於いての差である為に、
プラスマイナスは無く、同等な格である。

「勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、
害その身に至る」と言われるように、最強者は、負けても負けても這い上がり、
勝ものである。
学習し修正するものである。

長所は短所でもあり、またその逆でもあるもので、
「人間万事塞翁が馬」である。

智慧を持って正しく華やぐことである。
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栄光

2016-06-22 | Weblog
人は、
ほぼ十月十日ほど母胎で育ち、
おぎゃーと叫んで、この世にこんにちはするものだが、更に、
それから数年は
目配り気配りと、いとまなくかけられて育つものである。
随分と長い時間の間、見守られなければよく育たないのが人間である。
所謂、
手とり足とり導かれて、地上の覇者?たるものとなるのである。
さて、
良いもの、本物たる
なにがしかに辿り着くには、
容易なものではない。
その苦労を伴わずして、
栄光というのは味わえないものである。

それは、未来永劫変わらないものでもある。




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必要

2016-06-21 | Weblog
手間隙を掛ける。
そうして良いものはできる。
思いが込められたものというのは、
そういうことである。

どうか
思いを込めて物事にあたることである。
良いものに
時間というのは、要するものである。
そうして、瞬時が叶うものとなる。
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智恵の目

2016-06-20 | Weblog

摩訶般若波羅蜜多心経、
=悩める多くの人々の心をみがく詩の経典。
私はこのように訳した。
智恵をもって。
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