つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

戦争

2022-09-28 | Weblog
私達は常に過去を作りながら進んでいる。
過去はまぎれもなく事実である。
消し去ることはできない。
一つ一つ時間に記録された事実は、改めて検証され、言い逃れることはできない。
報いは、善には誉となって倍々に、悪には禍となって倍々倍として受す。
権力は、不法にして不正ばかり生み出して、ただ崩壊の道、いばらの道を作る。
あらゆる事に戦いの文字をつけて、争うことを好み優劣をつけたがる。
勝敗は、共に惨めな事、どちらも死に値する。勝っても負けても死に行き着く。
おののく・慄く・戦く、戦慄は、愚か者の自業自得、あの世も地獄。
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信じることのあなた次第

2022-09-25 | Weblog
貴重なものは少ない。だから、稀少価値がある。
優秀と言うのも同じである。
多くあるのはどうでもよいもの。それぞれに対して値打ちは無い。
ほぼ2対8の割合にしてこの世の適当としてあるが、どうでもよい8割はまた大切を担う。
”独りは皆のために”が過度にあれば、皆は独りのためになることができなくなる。
適度は大切である。度が過ぎてしまわないうちに、「及ばざる」を浄める。
何事も過ぎてしまえば後の祭り、「及ばざるは過ぎたるより優れり」。
時というのは、”必ず”と”しも”を自己の自由に有する。
どうあれ正しい思考は大事である。
極めて稀なことを知る縁は、自身の誉。
人間万事塞翁が馬!
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自分次第という自由を考える

2022-09-23 | Weblog
台風14号が過ぎたと思えば、すぐさま15号が発生。関東を直撃していくが、それほどでもない(様)
に少しながら安堵。
すぐさま低気圧となって、ただ,14号で流されてきた汚物を洗い流す。”きれい”とはそういうふうに浄化を担う。
自身が、きれいな意地を保っているならば、綺麗な景色を見る。
もともと意地が汚い、悪ければ悲惨な光景に遇う。何事も縁の法則、綺麗なものには綺麗なものが集まる。
汚いものには汚いものが集まるのである。道理であるために、絶対となっている。
自分次第という自由である。
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変を意識

2022-09-21 | Weblog
隷属という時代の終焉である。何かに従うという事をせず、自らに考え自らに行動する時代がやってきた。
つまり、自由。何もかも他に委ねてきた、あるいは、まかせっきりの時代は過ぎたのである。
これからは自分で考え自分の足で行動してこその責任転嫁は自分にあるという本物の自由な時代となっている。
誰かの”せい(所為)”にすることができない。すべての事柄は、その時にそこにいた自分の業に由る。
自業自得としての責を負う。’悔やむなら自分を悔やむ’ということだけである。
何かにおいて、現肉体に’大事’があったなら(重大にして他界となって)も、意識の記憶は連綿であり永遠である。
そのため、重大なことがらの相殺となって無垢になるため、軽々とした気流として回る。そう、丸く白く輝く
玉となって四つの次元の上を漂う。まさに千の風になって漂う。
決して下がらぬよう暖かく、上の次元へと漂う思考回路だけである。意識という自由エネルギー、
不滅であり、全知全能であるが故の”忘れる”ことをして、存在を存在とする。
全ては幻想であり、本物とする意識に由来する。だから、
幸も不幸も求めなく、して幸となり、善悪無くして善となる道理を意識する。
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一闡提の哀れ

2022-09-17 | Weblog
今、12,13号の目に挟まれて14号の台風の目が大きく見開いて本土に向かう。
地にうごめく悪知恵なる虫たちを一掃する。
雨は激しく風は渦巻、その地を洗い流す。
今まで進化した虫たちは、どんなに進化しても、いまだ地を這いずるものである。
蛇の道は蛇。邪道であるために、空を飛び抜けることができない。
その場に応じて、クネクネと素早く突き進んできた気味悪さ(君の悪さ)は、
気づきの力に立ち塞がれて、これ以上進むことはできない。
いつまでもその場にとどまり、ウジ虫のごとくうごめくだけのものの中で、
イライラが募り朽ち果てていくだけである。
悪智恵の事の顛末である。
これこそ浮かばれることのない自業自得の縁、泡沫たる淀みの世界である。
哀れなるもの、どんなに良いことを見聞きしても、気づくことがない。
気づくことがなければ、その場の生死をただ繰り返すのみ。

秋分の日は天気(転機)である。
台風一過は、自身の意識の善し悪しに関わる。晴れのち曇りとも曇りのち晴れとも。
浄化はエネルギーの法則、道理であるために、絶対である。
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招待状の点滅

2022-09-15 | Weblog
霊的に生きる。
精神的に生きる。
意識的に生きる。
自身の意地を磨き唯心で生きる。
心の持ち方ひとつで大きく変わる。
自分が変われば、前は開かれる。
貴方は、進化にある退化を知りつつ、変わりゆくもの、移りゆくものである。
不思議にも今、時空の扉は開かれている。
その虹色に点滅する光の空間を通り抜けろ。
季節の巡りを見失うな。あと1週間強ほどの解放の的を外してはならない。
自身の意識が好ましければ、この瞬間ともいえる的を射抜け。
時として、これは天を駆け巡る船とも言えよう。
ハート形に点滅して感覚するとき、パスポートでもある。のりおくれるな!
「及ばざるは過ぎたるより優れる」を忘れてはならない。
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人間だもの・・

2022-09-10 | Weblog
秋分の日を祝う。
荒唐無稽、
前代未聞、
まさか、(真逆)と目を見張り耳に聴く。
奇跡の
始まりに終わりに、といっぺんに遭遇。
これから10年のうちの今昔の感。
人間だものという哀しみのうち(中)に。
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小人と大人

2022-09-06 | Weblog
あと数日(5~6)は惑わされ迷うこと然り。
そのあと1,2週間で善悪転倒した意識が正されていく。改革が始まる。
心の中で、粛々と思いめぐらせてきた真実の世界は、幻想にして正しいとする決断を支持、支援する。
自身が善い人【(優しいとする意地)であるならば、である。時と共に大人になった、なれたなら)である。
《子供の頃は、若気の至りであったにしても、大人になれたであれば。》でよい。】

ウ冠に示。
宗教が人々を訓示る。それこそ自然が先生であり、布いては神である。
天であり、そこから示し申すのである。これは、まさに自然であり自由である。
自らにしかり<しかあり>であり、自らに由るである。
と、識する。
自身が善い人(心)であれば、改革に逢う。
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自由の使命、全知全能

2022-09-03 | Weblog
今はという少しの間、消えゆくろうそくの火のような状況、
燃え盛るがすぐにパタリと消え失せる。
苦は、自身の意識の善悪転倒にある。だから正せば楽になる。

道理は、
善悪がないための絶対善である。
普通という中の道を歩め。極の道を歩むな!歩めば傾くぞ。
傾けば歪になる。棘の道となってしまう。

物事は栄枯盛衰の道理にある。
およそ300年の間の界隈。
道理は、新を繰り返して進化する。
始まりと終わりは同じである。つまり、
始まりは終わりであり、終わりは始まりである。
新たなる旅立ちという、常に進みながら化けていく。
進化は退化に似て等しいとする自由を取り除け。
全知全能であるとする存在の無意味さを、
忘れることにした罠にはまったことを思い出して、存在の意味を思い出せ!
時として、自由に使い分ける使命とせよ。
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正しい義

2022-09-03 | Weblog
自ら然り、だから自然という。
自らその通りとする自由である。
全てが自らに由るエネルギーであるために、
自然は自由である。
その自然から生まれた(分かれた)から自分という。
この自然の理(道理)は、円運動エネルギーである。
だから、毎日を繰り返す。めぐるのである。
始まりから始まりに戻るのである。=永遠という。

だから、自由を理解しよう!正しくその理を解せば、存在の正義も分かる。
自分をも分かってくる。なぜ私はこうなのか?も分かってくる。
自然から分かれてきた(生まれた)から自分であり、その正しい義(いみ)も
分かってくる。
自然(エネルギー)に善悪などは無く、
だから絶対善となり正義となって回っている。
自然というエネルギーの自由である。
これがこの道の理であり、存在の正しい義(意味)である。
全てが元に戻り、新たに始まるのである。
善悪顚倒してはならない。
宇宙は、
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇=唯一のエネルギー存在の自由である。

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