私達が意気消沈する出来事がもう少し起こる。
が、
もう夜は開けかけている。そこここで、いや、あちこちでというほうが当てはある。
世の中を見て、右往左往している様子を見て、自身には好ましい兆候にあると感じれれる人は、
善い人である。
悪いことをして、追い詰められたものは、逃げ場がないために刃向かってくるしかない。
悪事発覚に気づいたものは2割ほどで、8割は気づいてはいないが、
この2割は全体を動かす。気づかないものの中でも、まったくと言って気がないものは、
仕方がない。自業自得という慈悲の悲の世界に取り残される。
手を差し伸べても、その手をつかめないのだから、一旦クリアーになるだけである。
もう一度、生死の苦しみを受けるしかない。それは、不意であるが、無知から来るためである。
無知は、すべてにおいて怖いもの知らず。怪我をする。が、怪我の功名とすることができるなら、
急がば回れとなるだろう。いずれにしても、無知というのは、危ない橋を渡らなければならないものだ。
だから、諦かにみて生きろ。そうすれば、必ず手柄を得る。
魂は、称賛を求めて存在しているものだから。