つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

憐れなるもの

2024-06-06 | Weblog
どんなに財産をため込んでも、結局無くなってしまう。
ため込めばため込むほど苦しむことになる。あの世には一銭たりとも持っていくことはできない。寧ろ、相続争いが起こり、骨肉の争いとなる。そのような話に暇はなく聞いたものである。この世の性とは醜いものである。
人間必然死ぬ者である。それも何も持たずに。僅か100年にも満たない人がほとんどの人生。「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」と謳われ、まさに的を射ている。花開く時ほど短すぎて、あっと言う間に醜く枯れる。誰彼なく一様である。執着とは、斯くも無意味な事である。

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露骨な振る舞いを問う

2024-06-06 | Weblog
車社会の大手企業、度重なる不正を指摘され、一時生産中止とされる。
今回はマツダも名をあげられた、以前はスズキダイハツニッサンミツビシ等々名が挙がったが、潰れることはない。すぐに立ち戻ってくる。人のうわさも・・・として、気を注ぎ、紛らし散らし裏表を面喰わしていろどる。
金融支配社会は、大きく融通する。
損得勘定の狡賢さはいくら長けても後暴かれる。
全ての変化は、浄化にある。地が揺らぎ天が荒れるのは掃除て、汚くなった環境
汚染のリセットと受す。
今後ますます強大になるのは、世の乱れにあるためである。
私達は運命共同体である。地上にある生命は同じ運命となっている。
特に人間は物質文明、物に執着して生きているために、苦を招き死して地獄を描くが、他の動物は憎しみのために殺して食することは無く、執着はない。そのために、死して地獄を作る事は無いが、精神的生命ではないために、哀れみ薄く、畜生の世界、修羅の世界となって生きている生命である。
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物の理は消滅という変化

2024-06-06 | Weblog
動物はいずれ死んでいく。孤独に死んでいく。一人一人、一匹一匹、、一つ一つ
死んでいくのである。寂しいからと言って、紐で繫ぎとめても、一緒という事は無い。魂である意識は「個」として在る。二つとしてあるわけではない。一つ一つ別々な在り方、存在である。そのため、一つ一つ個々別々に生まれてくる。
意識が魂が合体することはない。見解の一致、意見の合致はあっても、魂の合体は無い。意識(魂)は物質ではないために物理には無い。まったくの「個」である。孤独、弧の独である。稀にシャボン玉が合わさっても、刹那に消える。
それは、一瞬にしてその理を解したとしても、刹那に元に戻る。
魂は、「そうだったのか」と自分の真理(心理)を見極めても、すぐに分からなくなる。
自分が自分を知らないように、「謎が真の理」であるためである。一瞬「自分とは」と知ったとしても、あまりに刹那である。量子エネルギーというのは同時として描く。全知全能であれば、生きている意味、意義を為さないためである。
自由というのは斯くも不思議な存在、在り方なのである。
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